テロや犯罪のニュースが増えるにしたがって、いたるところに監視カメラが設置されています。街中で見かける監視カメラによって、「死角がなくなるほどの監視が必要」というイメージが強くなった街で、人々は安心した暮らしを送ることができているでしょうか。
住民を見守り、安心を与えてくれているはずの交番も、中をのぞくとパトロール中で不在であることが少なくありません。交番が無人であることが多いという認識ができてしまうと、交番の存在がかえって不安な気持ちを強くしてしまうこともあります。設備を増やして安全性を高めても、安心が高まらないのはなぜでしょうか。また、技術はどのようにして人々に安心を提供できるのでしょうか。
朝、小学生の通学時間に街の巡回ロボットが交差点で子供たちとあいさつをかわしています。そして、子供たちが学校へ行ったあとは、公園で高齢者と会話をします。ここで巡回ロボットが行っていることは、複数台で力を合わせて「住民全員と知り合いになる」という、人間では難しい住民との関係構築です。監視カメラにくらべてより積極的な関係構築を、目につかない場所から監視するのではなく、存在を明確にした上で行うことで住民に安心を与えます。
「今日は、浜田さんはどうされましたか?」 巡回ロボットは毎日あいさつをかわす中で、特定の住民の外出頻度の低下傾向を把握します。必要に応じて周囲の人に対して注意をうながし、コミュニティの人々の中で相互の見守りができるように働きかけます。コミュニティを緩やかに活性化することで、「倒れたら誰にも気づいてもらえないのではないか」という、1人暮らしの人の不安をやわらげます。
急病人の発生などの緊急時に、巡回ロボットは現場に向かい、周囲に対して問題の発生を目に見える形で示します。日頃から住民と築いた関係と適切なインストラクションの提供で、街の人たちが緊急時に対応しやすい状況を作ります。巡回ロボットは住民に対して「手伝ってください」 と伝えるだけで、直接的な問題解決力を持ちません。ロボットと人との関係を活かし、人と人の関係を強めることによって問題を解決するのです。
深夜の街でも巡回ロボットは働きます。もちろんここでも、巡回ロボットは直接的な解決力を持たずに見ているだけです。もし、このロボットが犯罪などに対する直接的な解決力を持って街をかっ歩したら、それほどまでに守らなければいけない理由が自分たちの街にあるのかと感じ、人々は不安を増してしまうかもしれません。目には見えるが過度には守らない。これが、巡回ロボットが街に与えている安心なのです。