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story 03
ガルサのライフスタイル
両親が育んでくれた、
人一倍強い探究心
私はメキシコ出身で、北東部にあるモンテレイという大きな町で育ちました。小さい頃は、なんでも興味を持って、「どうして?」「なぜこうなるの?」と毎日質問攻めにしていたそうです。そんな私を両親は煙たがらずに真剣に向き合ってくれました。おかげで人一倍強い探究心が、この時期にぐんと養われたのだと思います。
小学生の頃は、宿題が嫌いで全然やらない子でした。勉強は嫌いじゃない、でも納得できないと動かない。だから宿題を出されても「これは、なんの意味があるの?」と思ってしまったのです。そんな私が小学6年生の時、成績トップで学校代表に選ばれて頭脳を競うオリンピックに出場したことがありました。でも宿題はいつもサボっていたから、「ガルサすごいね!」と、先生や友達が驚いていたのを思い出します。
探究心の対象は「日本」へ
中学では演劇部に入り、高校ではプログラミングを学び、いろんなことに興味を持って挑戦しましたが、ターニングポイントは高校2年のとき。高校の前にあった日本語学校に、友達と通ってみることにしたのです。
日本にはもともと興味がありました。というのも、なぜ、少し前の時代にはサムライがいて、今はロボットがいるのか?なぜ、明治以降は浮き沈みを繰り返していたのに、こんなに短期間で経済を急成長させられたのか? ということがすごく気になっていたのです。その理由を知りたくて、もっと理解するために日本語の勉強が必要だと思いました。
日本語の勉強は想像以上に楽しく、日本に行きたいという気持ちが大きくなりました。メキシコの大学では国際コースを選択し、4年生の時に日本へ1年間の留学を実現しました。
約10年前の日本の印象は、思ったより先端的な国ではないこと。ガラケーが主流で、カードやキャッシュレスどころか現金しか使えないところが多い。私が想像していた「ロボットがいっぱいいる日本はどこに行ったの?」という驚きがありました。もちろん、飛び抜けて進んでいる技術もあれば、そうではないところもある。そのポテンシャルが、日立が実現する社会イノベーション事業、私の今の仕事にもつながってくるのだと思います。
自分の仕事で誰かの人生を
ハッピーにしたい
1年間の留学はアッと言う間で、より強く日本を知りたいと思うようになりました。メキシコの大学を卒業後、石川県の大学院で2年半学びました。そのまま博士課程まで進み、大学の先生になろうかと迷っていたのですが、社会を何も知らないのに、何も教えられないと思い直し、就職活動で出会ったのが日立製作所でした。
私が就職活動で重視したのは、「意味のある仕事をしたい、誰かの役に立つ仕事をしたい」ということ。たとえば、お客様の仕事が1秒でも速くなれば、私の仕事には意味があります。お金をもらうことよりも、私の仕事で誰かの人生がうんと楽になったり、ハッピーになるのであれば、その方がずっと意味があると思っていました。
日立の先輩社員と話した時、「日立は自分たちの技術や製品を通じて社会に貢献する会社だ」と聞いて、思わず前のめりになりました。高校時代からのプログラミング経験を生かして、システムエンジニアをめざそうと考えていたのですが、技術力の高いIT企業は数多くあっても、ITから社会インフラやIoTを考えるとき、人のためを思うものづくりの経験や姿勢がないと、いいものはできないと考えていたからです。
日立はものづくりからスタートしてIT、OTを活用し、様々な領域へと事業を広げている会社です。日立なら、部分的ではなく、人のために最初から最後まで考えたうえで課題の解決ができる。私の力で誰かの人生をよりよい方向へ変えることができる、日立が社会を変えるところに私が参画できる。そこから興味を持ち、面接を受けて、無事入社が決まりました。
グローバルを舞台に、
金融ソリューションの
未来をつくる
入社後は金融領域のシステムエンジニアとして、メガバンクのプロジェクトに参画しました。1年目は先輩や上司に相談をしながら業務をスタートして、2年目には自分で設計してお客様に提案したりと、システムエンジニアとしての基礎を固めました。
3年目には、カード審査の業務プロセスの“自動化”を担当しました。銀行員3人がかりだった作業が1人でできるようになり、その先のお客様の待ち時間も削減するという効率化の実現です。大きなシステムの中の小さな機能ではありましたが、意味のある機能を最初から最後まで担当させてもらえたのがとても嬉しく、やりがいを感じたプロジェクトです。
そして今、新たなプロジェクトと対峙しています。それは海外で利用されるIoT決済システムのプロジェクト。たとえば鉄道のICカードで金融と鉄道が連携しているように、金融だけではなく、他領域との連携が必要なシステムです。私はつくる立場からまとめる立場へとシフトし、日本チームとヨーロッパチームをブリッジする役割を担っています。計画を立てて、メンバーの意識を揃え、合意形成を得る…。ステークホルダーが多いので苦労は絶えませんが、グローバルで互いの専門性を踏まえて意見をぶつけ合いながらソリューションを生み出す、そんな日立ならではのチャレンジを存分に楽しんでいます。
仕事だけでなく、
仕事以外を楽しむことで、
自分の可能性を広げる
学生のみなさんからよく聞かれる質問として、日立にはどんなタイプの人がいるかと聞かれるのですが、楽しく、しっかり仕事をしている人が多いと答えています。雑談したり、よく冗談を言う人が、実はすごいプログラムを作る人だったり、ビジネスのアイデアをポンと出す人だったりします。また、趣味や家族の時間を大切にしながら、いい仕事をしている人も多いです。私は仕事に集中しすぎてしまう時もありますが、肩の力を抜いてリラックスしたり、仕事以外で楽しむことが、視野を広げ、自分の可能性を広げることにもなると感じました。
そこで、私はオンとオフはしっかり区切って、趣味の時間を大切にしています。昔も今もゲームが好きで、家にもたくさんボードゲームがあるのですが、友達と集まってボードゲームをするのが私のリラックスタイム。他にも、毎年2週間ほど休暇をとってメキシコに帰国することも楽しみのひとつです。メキシコの家族や友達とワイワイ過ごす時間は、最高のリフレッシュであり、次の仕事への活力にもなっています。
その人生に、プランBはなし。
もし、私がおじいちゃんになったら、65歳までに学位を取って先生になりたいです。今まで培ってきた知識や経験を次の世代に渡していけたら、嬉しいですね。そのために、今やるべきことは何か。それは圧倒的な経験を積み重ねることだと感じています。
そのために、いまめざしているのがプロジェクトマネジャーです。私は専門性を高めていくスペシャリストが性に合っていると思っています。けれど、日立にいるなら、様々な領域・部門の人たちと影響しあっていきたいです。いつもチャレンジを忘れない日立だから、私にできることもたくさんあるはず。経験の中でプロジェクトの規模をどんどん広げて、世界の日立の仲間と世界中の人を幸せにするプロジェクトを実現していく、それが私の本望です。
私は子どもの頃から、自分の興味あることは必ず最後までやり抜いて実現してきました。だから、大学院も1校だけ、就職活動も日立1社だけ。一度決めたらプランBはありません。集中して、必死になって挑めば、何事も叶う。それが私の生き方なのです。小さな頃、日立のテレビがいつもそばにあったように、私の仕事がメキシコに、世界中に届くその日まで、自分の意志の強さを武器に、どこまでもハングリーに突き進みます。