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story 01
岡部のライフスタイル
出会いと別れを繰り返し、
変化を楽しむ力が育まれた
幼少期
幼少期の記憶で印象に残っているのが、父の転勤に伴い、シンガポールで3年間を過ごしたことです。今となっては、海外に住むなんてカッコいいと言われますが、当時は小学校3年生だったので友達との別れが嫌で嫌で、「なぜ行かないといけないのか」と泣きだしたこともありました。今思えば、友達との別れよりも、想像もできない海外生活が怖かったのかもしれません。
ところが、シンガポールで通っていた学校は、同じ境遇の子どもが多いこともあって、人見知りすることが馬鹿馬鹿しく思えるほど、みなフレンドリー。友達も親友もすぐにできました。英語を喋れなくても、学校帰りに市場を遊び場にして走り回ったり食べ歩いたり…、毎日が大冒険みたいで楽しくて幸せな時間でした。
帰国の時は辛かったですが、少しは強くなったのだと思います。新しい小学校に行っても、人見知りせずに誰とでも話せる性格になったのも、シンガポールで過ごした3年間のおかげだと感じていますし、こうした経験から、変化を楽しむ力が自然と養われたのかもしれません。
武道と出会い、
初めて知った熱中する楽しさ
父は武道が好きで、本棚には空手や柔道の漫画がズラリ。それを読んでいた影響から、中学・高校は武道に打ち込みました。
中学では剣道部に入部。他の運動部に比べて、あまり辛くないだろうと選んだ剣道でしたが、これが信じられないほど厳しい部活でした。毎朝7時から朝練、放課後の練習、土日は試合に出場するために各地をまわって、という日々。猛練習を続けるうちにだんだんと強くなり、「次はあの試合に勝つ!」と目標ができれば、グッと熱くなりました。この時、初めて味わった「熱中する」という感覚が私の原点にあります。
高校では変化を求めて、空手部に入部。ところが、一緒に入った同学年の5人は、ケガと忍耐がつきまとう空手に嫌気がさし、早々に辞めて私ひとりに…でも、剣道部の試練を乗り越えた私は強くなりました。「中途半端はイヤ」「誰よりも熱中したい」という思いで、3年間、空手部を続けて部長まで務め上げ、この性格が高じて勉強も楽しくなり、学年トップになれたことで、自分に新たな自信がつきました。
悔しさの先に、
見えてきたもの
月日は流れ、都内の大学に入学し、少なからず自信を持って大学生活に臨んだ私は、入学早々、大きなカルチャーショックを受けました。なぜこの大学、この学部を選んだのか。漠然とした理由で決めた私でしたが、まわりのみんなは違いました。意思があり、夢があり、夢中になって将来を語り、行動していたのです。やっぱり夢や目標がなければ熱くはなれない。もっと広い世界を見て、どんどん挑戦していこうと思った瞬間でした。
おかげで、とても濃い大学生活を送ることができました。なかでも印象的だったのが、ゼミ活動の討論会です。ゼミはマーケティングを専攻し、ゼミ長に自ら手を挙げ、総勢21名のまとめ役を担いました。そこで一大イベントとなるのが、関東の大学を集めて行われた論文討論会です。私のチームは「若者にどうすればビールが売れるのか」を研究し、世の中のデータや意識調査から示唆を得て、変化するライフスタイルや価値観に基づいたビジネス戦略を打ち立てました。
そして、ついに決勝まで行きました。「これは勝てる」、そう意識した瞬間に、負けました。本当に悔しくて、膝から崩れ落ちるほどでした。そこで自分の考えた頑張りだけでは全然足りないことを思い知らされたのです。ただ一方で、チームを引っ張り、大きな目標に向かう楽しさや達成感を実感したのもこれが初めてで、まだ、将来の夢や目標は見えないながらも、この時のようにチームも自分自身も熱くなれる仕事がしたい、そう考えるようになりました。
情熱を込めたシステム、
熱くなれるチームを
つくりたい
私が日立を選んだ理由は、データ活用における先進性を感じたことです。大学でマーケティングを学ぶ中でも、データ活用という領域に注目していました。当時はDXやビッグデータという言葉を目にすることもなく、新聞を見た時に、データ活用を一歩先に取り組んでいた印象を持ったのが日立製作所でした。幅広い事業領域で、社会課題の解決に挑む日立において、データ活用の可能性は無限大だと直感し、ここで経験を積みたいと感じました。
ターニングポイントとなったのは、入社5年目のことです。データ活用に関わる部署への異動が叶って、AI・機械学習を使った、お客様の業務変革を実現するプロジェクトを担当しました。同時に、初めてプロジェクトリーダー(PL)として、計画を立て、チームをまとめ、成果へと導いていく役割を担いました。壁にもぶつかり、熱くなりすぎて空回りすることもありました。でも、リーダーを経験することで、自分自身がテクニカルスキルをアップさせるよりもチームを引っ張っていく方が、絶対に熱くなれると実感しました。これが、キャリアの方向性を考えるきっかけになったプロジェクトだったと思います。
現在は、事業部の新規事業のメンバーに選ばれて、プロジェクトマネジャー(PM)を任されています。日立グループのプロフェッショナルを集めて、新しいお客様に向けて、企業課題や社会課題を解決するのがミッションです。すごくワクワクしていますが、一方でPMは、幅広い視野でプロジェクト全体を見ながら、冷静に物事を判断していく立場だと言われます。でも、冷静にプロジェクトを進めるだけのリーダーにはなりたくありません。チームが夢中になり、情熱を込めたシステムをつくりたいと考えていますし、そんなチームをつくっていくことに、私は今、夢中になっています。
人生設計を真剣に考え、
責任感を強める
プライベートのターニングポイントも入社5年目の時で、中学時代の同級生と結婚しました。結婚前は、目の前の仕事に無我夢中で取り組み、資格取得のために勉強して、休日は気を失ったように眠る…そんな日々を繰り返していました。でも、人生を一緒に楽しめる人ができたことで、自分のライフスタイルや将来について改めて考えるようになりました。
結婚して3年ちょっとが経ち、子どもが生まれ、熱中できる対象は仕事以外にまたひとつ増えました。むしろ人生最大の熱中ぶりです(笑)。私も妻も、子どもに夢中。家族で助け合っていくためにも、仕事の効率や質をいかに上げるかを常に考え、どうしたら泣きやんでくれるのか、家事を効率化するにはどうすればいいかを妻とともに考え、毎日大奮闘しながら騒がしい日々を送っています。
そして、人生設計を数字で突きつけられたのが、新居の購入でした。ローンを組み、家族でお金の割り振りを考え、子どもが成長することを考慮して、もしもの時も考える。この時ばかりは、冷静になれた瞬間でした(笑)。これまであまり目を向けてこなかった福利厚生を細かくチェックするようになったり、日立という会社の制度や仕組みのありがたさを、今更ながらに実感しています。人生設計を明確にすることで、自分はどうあるべきかを考える良いきっかけになったと思います。
家族に誇れる仕事をしたい
日立にいて実感するのは、子どもに誇れる仕事ができること。振り返れば、父の仕事で海外生活を経験し、鉄鋼業界の世界で活躍する父の姿を素直にカッコいいと感じていました。仕事熱心で忙しくとも、家族をとても大切にしていた父。そんな父の背中を追って、全力で家族を愛し、日立で子どもや妻に誇れる仕事をしていきたい。そう、決心しています。
日立では、60歳まで勤め上げたいと思っています。そのあとは知識や経験を活かして次のキャリアに挑戦したり、ボランティアで社会貢献したり、武道にも再チャレンジしたい。ずっと走り続けているので「少しは落ち着いたら?」と言われそうですが、「熱中」こそが自分の原動力。人生を充実させてくれるものだと思っています。自分が何に興味を持ち、どうすればのめり込めるか。自分の中の「熱中の方程式」を解く感覚で、これからの人生も楽しんで歩んでいきたいと思います。