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story 02
小島のライフスタイル
海外で過ごした幼少期と
恩師との出会い
横浜で生まれてすぐ、父の仕事の関係で北京に引っ越し、5歳まで過ごしました。30年前の北京はまだ道路も舗装されておらず、馬と自転車が行き交う街中を、裸足で遊びまわっていたことを覚えています。当時は中国語でコミュニケーションをとっていたので、国籍の違いや文化の違いなどは、幼少の頃から自然と受け入れて過ごしていました。
帰国後に通った小学校で、やんちゃな男の子に交じってサッカーをする方が楽しいという活発な女の子。一方で、勉強も真面目に取り組む優等生でした。周りの友達がみな中学受験をするということで、私も受験したい!と勉強に本腰を入れたとき、力になってくれたのが、担任の先生でした。
先生は、授業とは別に受験対策用の問題を作成して指導してくださる一方で、遊ぶときは子供と一緒になって全力で遊んでくださいました。子供目線で真摯に向き合い、遊びも勉強も120%面倒を見てくださる先生に支えられ、受験を頑張ることができました。卒業後も小学校に遊びに行く度に私のことを温かく応援してくださり、「相手目線に立って物事に取り組み、相手を全力で応援する」先生が、私の最初のロールモデルになりました。
弓道に捧げた学生時代
中学で弓道部に入部して以来、中学・高校・大学の学生時代10年間、弓漬けの日々を過ごしました。きっかけは、弓道の競技人口が少ないため、日本一=世界一になれるチャンスがあるということ。そんな大きな目標に挑戦できるというのが魅力でした。弓道は的に当たるか外れるかの2択しかありませんから、続けていく中で自分の努力が白黒はっきり結果に表れる弓に夢中になりました。
弓道は、トライアンドエラーの繰り返しです。「的に当てるためにはどうすればよいか」、考えるだけではダメだし、行動するだけでもダメ。考え、行動し、評価し、改善する。このPDCAサイクルを回して成長していくことの大切さを、弓道から学び、私の行動のベースになりました。そうした経験を積み重ね、高校では主将を務め、全国大会へ出場することもができましたが、日本一になるという目標だけは果たせず、悔いが残ったのです。それで大学生になっても続けようと決心し、体育会弓術部に所属して弓道を続けました。
理工学部に進学したため、研究と部活の両立は大変でしたが、やると決めたらやりきる性格なので、文字通り365日練習する弓漬け生活を4年間続けました。中学・高校よりも弓道のレベルが高い環境の中で、なかなか選抜選手になることができず、研究や課題が重なると多忙を極め、なんでこんな辛いことをやっているのかと自虐的になることもありました。しかし、試合に勝つ達成感は、格別の喜びです。先輩後輩問わず切磋琢磨し合い、試合に勝った後にみんなで飲むお酒が本当に美味しくて、9割辛くても頑張ることができました。
入部当初、チームは女子2部リーグに所属していましたが、4年生の時に1部昇格を果たすことができたのは、人生の中でも最高の思い出になりました。共に日本一を目指すチームメイト、監督・コーチ、OBの方々に支えられ、1つの目標に向かってチーム一丸となる、そんな全員で戦い抜く楽しさと喜びを知ることができた4年間でした。
自分らしく挑戦することの
大切さ
大学院に進学する選択肢もありましたが、学部卒業後に就職活動する道を選びました。OB訪問でお会いする社会人の方々を見て、就職した方がより自分が成長できると感じたからです。東日本大震災を通じて家族と連絡が取れなかった時間が一番不安だった経験からITに対する興味関心が高まり、IT業界を支えている企業の選考を受けました。
その1社だった日立は、内定をもらった際の言葉が印象的でした。それは「小島さんの人生において大事な進路選択になるから、他社の選考も納得いくまで受けた上で、日立を選んでくれたら嬉しい」という人事担当者からかけてもらった言葉でした。相手の立場を尊重し、社員一人ひとりの価値観を大切にする企業であることをその言葉から実感し、日立に入社することを即決しました。
入社後は、ビジネスパートナーである商社系SIer担当の営業として、パートナービジネスに従事しました。サーバーやストレージ、ソフトウェアといった日立の通信インフラ製品をパートナー経由でさらにその先の企業へ提供することが主な業務です。OJTや日々の案件対応を通じて、職場の上司や先輩方から「お客様を知り、お客様のために何ができるかを自分で考え行動する」営業の心得を学びました。
印象に残っている仕事は、ビジネスパートナーと新規サービスを立ち上げたことです。ビジネスパートナーが販売する商材と日立製品を組み合わせ、パートナー独自のソリューションを1から作り上げ拡販しました。日立、ビジネスパートナー、エンドユーザーがWin-Win-Winとなるスキームを作ることはとても難しかったですが、新サービスのニュースリリースが出た時の達成感は忘れません。6年半パートナービジネスに携わり、お客様が必要とする時に必要な商品を適正な価格で提供するために、様々なステークホルダーとの調整・交渉を通じて、スピード対応、状況判断力、折衝力を磨くことができました。
人とのつながりが、
世界を広げてくれた
プライベートでは、入社5年目に結婚し、入社7年目の秋に妊娠しました。子供を授かることができたことを夫婦で手を取り合って喜ぶ一方で、私は社内公募制度を活用して、新しい挑戦をしようと部署異動したばかりでした。妊娠ということに対する周囲の反応が心配でしたが、異動先の職場の方々は皆さん祝福してくださり、部長からは安産祈願のお守りを贈っていただきました。この温かい気持ちがとても嬉しかったです。こうした雰囲気が、復職しても仕事を続けようという原動力になっています。
また、社会人になっても続けているのが弓道で、母校のコーチをしています。ここまで続けられているのは、弓道から多くを学び、共に日本一を目指した弓術部の先輩や後輩という、かけがえのない仲間との出会いがあったからこそ。学生を指導していると、時に自分では思いもつかない発想や考え方に触れる機会がよくあります。こちらが教えるだけではなく、逆に教わったり気づかされたり、とても新鮮です。そんな世代を問わず、交流できるのも弓道の魅力。これからも弓を通じて、新たな気づきと学びを得たいと思っています。
未来の可能性は無限大
日立では、出身も年齢もキャリアも様々な人たちが集まり、同じ目標に向かって皆で一丸となって仕事をしています。ビジネスを通して世の中とつながり、人とつながり、毎日たくさんの刺激を受けています。日立で働くことが、自分の世界を広げることにつながっていると実感しています。
これまでの自分の歩みを振り返り、弓道においても、日立においても、常に何かに挑戦してきました。この先の「仕事と子育ての両立という挑戦」には、本当にワクワクしています。これからは、仕事もプライベートも自分らしくできるだけ多くのことにチャレンジして、子どもの成長を見守るだけでなく、自分も一緒に成長していきたい。そう強く思っています。
両親、恩師、部活の仲間、会社の上司や同僚、そして夫。私はこれまで、自分の個性ややりたいことを尊重してくれる人たちに支えられながら自分らしく生きてきました。そうした人たちとのつながりが、私にとって一番大切な宝物です。これからは子どもとのつながりが一つ増えます。私が両親にめいっぱい支えてもらったように、子どもにも自分らしい人生を歩んでもらえるよう全力でサポートしたいと思います。自分がおばあちゃんになっても新しいことに挑戦し続け、家族と笑って過ごせたら最高です。