AIで「暗黙知」を継承する秘策 社会インフラの保守を変革する AIエージェント
株式会社日立製作所(以下、日立)は2025年11月26日から29日に幕張メッセで開催された「第9回鉄道技術展」に出展し、鉄道事業を支える数々の技術を披露した。「鉄道運行管理システムへのAI活用」のブースでは、鉄道運行管理システムで発生したハード障害の原因推定や復旧方法を提示することで運用の支援をするAIエージェントを紹介した。注目すべき点は、熟練者の暗黙知をデータ化し、生成AIとロジックを組み合わせることで回答精度を上げる仕組みを適用していることだ。このAIエージェント活用プロジェクトメンバーである日立の田村尚隆氏と吉田息吹氏に話を聞いた。
障害対応で課題だったのは「解析時間」と「技術継承」
鉄道運行管理システムは、非常に多くの装置が複雑に接続されており、ネットワークで指令所とつながっている。指令所にいる指令員は、鉄道運行管理システムの監視画面で各装置の状態を確認し、故障などの各種インシデント発生時の対応を判断する必要がある。
監視画面には発生時刻、発生場所(駅名)、装置名、アラート情報(ログのID)などが一覧表示される。それらの解析や原因の特定を行う場合は、非常に高度な専門知識やノウハウに加え、過去事例やマニュアルなどの情報を指令員が自身で分析、調査を行い解決しなければならない。それだけでは特定できない場合は、次の段階として熟練者(前任者や先輩、日立の技術者など)に電話して救援を仰ぐのが常だった。「日立でも、鉄道運行管理システムに関わる技術者は枕元にスマートフォンを置いて寝ています」と、システムの開発に携わる吉田息吹氏は明かす。
しかし、人手不足の上に熟練者の引退も重なり、今後のインシデント対応では、原因解析から復旧までに時間を要する懸念がある――これが鉄道業界の課題だった。
AIエージェント活用プロジェクトメンバーである田村尚隆氏は「このような運用体制には2つの課題がありました」と話す。第1の課題は、復旧までの時間だ。複雑な障害に対しては故障分析や原因の特定に時間がかかるほか、熟練者にいつでもすぐに連絡がつくとは限らないので、復旧には時間を要する場合がある。常時待機に近い状態に置かれる熟練者にかかる心理的な負担も大きい。第2の課題は、制御システム運用や設備保全に関わる技術と知識の継承だ。建設後50年以上が経過する社会インフラ施設の割合が加速度的に高くなる見込みのなか、構築と運営に携わった人々は異動したり定年退職していたりしている。このままだと、複雑なインシデントの対応経験、ノウハウなどはいずれ失われてしまう。
AIエージェントのプロトタイプで重視した「暗黙知のデータ化」と「AI回答精度の向上」
2025年の「鉄道技術展」で日立が展示した「鉄道運行管理システムへのAI活用」は、これらの課題を解決するために作られたAIエージェントだ。AIエージェント処理の信頼性を支える学習データには、日立が自社事業のノウハウとして蓄積する情報も使っている。日立内の過去の障害対応履歴、日立独自のプロセスでデータ化した熟練者の暗黙知などを基に、AIエージェント、RAG(検索拡張生成)を約半年で作り上げた。田村氏は「障害対応履歴や障害報告書に記されていない“熟練者の暗黙知”はエスノグラファー(観察調査のスペシャリスト)によるインタビューの手法を使い、熟練者から聞き取った内容をAIエージェントが活用できるデータに変換することで補いました」と説明する。
ただし全てを生成AIで処理するのではなく、高精度の判断が必要な要素にはルールベース処理も使っている。生成AIとロジックの組み合わせで実装した理由について、吉田氏は「回答の正確性と安定性を高めるために、使い分けました」と説明する(図1)。
障害の原因と影響範囲、対策を調べるAIエージェント
制御システムに向けたこのAIエージェントは、ユーザーにとっての操作のしやすさと回答の精度を確保するために、さまざまなシチュエーションを想定して開発したものだ。
鉄道技術展の展示によると、鉄道運行管理システムで障害を検知したときにAIエージェントを使って調査・復旧する手順は次のとおりだ。
- 監視装置の画面に警報メッセージが表示され、指令員はその画面をインプットとしてAIエージェントに取り込む
- 画面データがAI-OCR(AIによる光学文字認識)によって認識され、「発生時刻」、「場所」、「対象装置」、「警報メッセージ」などの詳細情報が一覧表示される
- 調べたい警報メッセージをフィルター機能などで抽出、選択し、分析実行する
- AIエージェントの画面に「故障可能性のある装置」「故障に対する影響」「過去事例に基づく対策」など、AI分析の結果が表示される
- さらに、「確認事項の入力」より、装置のマニュアル画像および確認が必要な内容が表示され、復旧に向けた操作手順が案内される
現段階のAIエージェントは、セキュリティを考慮して鉄道運行管理システムと物理的・論理的に切り離してあるため、監視装置から画像データもしくはログ情報を取り込むという仕組みになっている。今後、各種データの自動取り込みも検討していく。
故障の可能性がある装置(図2左上、赤色で表示されている装置)の周囲には、それと関係がある他の装置も階層図で示される。「この階層図は、鉄道運行管理システムのシステム構成図をAIが読み取れるように、経路や主従関係を整理した情報から生成しています。ここには日立の統合システム運用管理『JP1』における構成管理のノウハウが生きています」(田村氏)。装置の依存関係が見えることは、指令員による原因究明にも役立つはずだ。
また、障害発生時の指令所は一刻一秒を争う状況であるため、“知りたい情報を一覧で見られるUI”を設計。故障に対する影響の予測や過去事例に基づく対策など、必要な情報が同一画面に集約して表示され、指令員の判断材料として利用できる。
さらに、確認対象の装置名をクリックすると、その装置の動作状況を現地で確認するための手順が表示されるため、より詳細な分析を実行することが可能である。例えばLAN障害アラートの場合は、画面にLANハブの「表示ランプの意味」の詳細が表示され、対象ランプの確認手順や復旧に向けた操作が案内される(図3)。これらの情報を現地の職員と共有すれば、現地との連携が円滑になり、復旧の迅速化を図ることができる。
他の鉄道事業者、社会基盤、産業界全般への適用もめざす
AIエージェント開発のファーストフェーズが既に終了し、現在は結果検証と課題を整理している。「運用面での不足や機能面での課題を整理して、本稼働に向けてこれからAIエージェントの機能改善を行っていきます」と田村氏は説明する。さらに、セキュリティ面の懸念が解消された段階では、制御システムにAIエージェントを直接連携させることで、AIエージェントが警報ログを自動的に取り込み、障害解析や復旧手段の提案を自律的に行うように検討していく。
本稼働後に期待される効果は、熟練者が減っても遅延のない安定した列車運行が実現することだ。障害対応にAIを活用するという考え方は、さまざまな業種にも適用できる。「電力会社の方に『電力業界も同じような悩みを抱えているので、AIでの障害対応には期待している』と声をかけられました」と吉田氏は語る。田村氏は「鉄道事業者はもちろん、電力、水道、ガス、プラントなど、大規模設備の保全を課題とするさまざまな業界に本AIエージェントの価値を提案したいですね」と抱負を語る。
少子高齢化とそれに伴う労働人口減少が進む日本では熟練者の大量退職による業務ノウハウの喪失は大きな問題であり、早急に対策を考えなければならない。熟練者の知恵をデータベースに蓄積し、AIエージェントに熟練者の思考プロセスを再現させて障害の復旧手段を提案させたり、過去の処置実績を素早く検索させたりする――日立が提示したこのコンセプトは、この問題に向き合う企業を支援し、さらには社会インフラの安定稼働にも寄与し得る取り組みである。社会課題の解決に向けて、OTとITの両面で貢献する日立の姿勢は、鉄道技術展の展示からもはっきりと読み取れた。
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