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青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)

2024年(令和6年)出陣テーマ
河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)「河津掛(かわづが)け」

河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)「河津掛(かわづが)け」
下絵制作者:北村蓮明氏

 物語の舞台は平安時代末期の伊豆柏峠。伊豆と相模の武士たちが慰労の酒宴を開いたときの出来事。
宴席を盛り上げようと源頼朝の前で相撲を取ることとなり、力自慢が競い合った。相模側から工藤祐経の腹心である大庭景親の弟、俣野五郎景久が登場すると、他の強豪たちを一蹴し、得意満面で挑戦者を次々と倒していく。
このまま俣野の全勝かと思われたが、次の挑戦者は伊東祐親の嫡子である河津三郎祐泰。小兵ながら堂々とした姿勢で現れ大きく四股を踏んだ後、俣野との激しい相撲勝負が繰り広げられた。
勝負は拮抗するが、最後は河津が俣野を投げ飛ばして破り、決着となった。
ちなみに、現代の大相撲にも存在する「河津掛け」という決まり手は、河津と俣野の相撲が由来ともいわれている。
ねぶたは河津が俣野を投げ飛ばす場面。勝負が決まる一瞬の緊迫感を表現した。

 各地で発生した地震により被災された皆さまに、日立連合ねぶた委員会一同、心よりお見舞いを申し上げます。
日本の国技とされる「相撲」の基本動作「四股踏み」は、下半身を鍛えるための重要な稽古で、地中の邪気を祓い、大地を鎮める神事から発したものといわれています。
河津の力強い四股踏みが大地を鎮め、被災地の速やかな復興へつながるよう、心よりお祈り申し上げます。

参考資料/『相撲の歴史と伝説 大相撲昔話 伝説と奇談第13集』(山田書院)
     『相撲大事典 第四版』(公益財団法人 日本相撲協会監修)

ねぶた師の紹介

ねぶた師「北村蓮明(きたむら れんめい)」

北村 蓮明(きたむら れんめい)
1948年(昭和23年)生まれ

10歳の頃から作り始めたねぶたを生きがいとし、観客の拍手が一番嬉しいという
北村氏は、独自のアイデアと技で感動を与えるねぶた作りに励んでいる。