手をかざすだけで駅の改札を通過できる。そんな便利な社会インフラの実現をめざして、指静脈認証技術の研究が進められています。
安心・安全な社会の実現が求められる中、日立製作所は、たくさんの人がいる場所でも混雑を生じさせない「ウォークスルー型指静脈認証技術」を開発しました。
立ち止まらずに本人認証できる生体認証技術が、日々の生活を安心・安全に、より便利にしていきます。
松田 友輔(まつだ ゆうすけ)
研究員
三浦 直人(みうら なおと)
主任研究員
(2017年4月24日 公開)
松田はい。歩きながら、指静脈で認証できる技術を開発しました。これまで、日立は高精度な指静脈認証技術の開発に力をそそいできました。銀行ATMの本人認証や入退室管理、パソコンのログイン時の認証などに活用されていますが、その前提として、指を所定の位置に、正しく置く必要がありました。今回開発したウォークスルー型指静脈認証技術は、「歩きながら手をかざす」という簡単な操作と、高精度な本人認証を両立させたところがポイントです。
三浦2013年に、2020年オリンピックの開催地が東京に決定し、非常に盛り上がりました。その一方で、テロの標的になるかもしれないといった、セキュリティへの不安が大きくなり、これまで以上に安心・安全な社会の実現が求められるようになりました。このような中、わたしたちの研究所では、自分たちの持っている技術をどのように活用していくかについて検討し、「スーパー・セキュア・シティ」というコンセプトを掲げて、安心・安全で、便利な社会をめざしてさまざまな研究を進めてきました。
わたしたちのチームが研究している指静脈認証は、高精度に本人認証ができることが特長です。しかし、従来の指静脈認証は、装置の所定の位置に指を置くために立ち止まる必要があって、操作に時間が掛かってしまうことが問題でした。
操作に掛かる時間を短縮できれば、大勢の人が利用しても混雑が生じないので、大規模イベントの会場や、人が集まる空港や駅などで使えるようになります。時間短縮のためには、立ち止まらずに操作できればよい…ここから、歩きながら装置に手をかざすだけで認証ができるウォークスルー型指静脈認証技術の開発が始まりました。
三浦ウォークスルー型の装置は前例がなく、実験をしたこともなかったので、開発することが決まった段階では、本当にうまくいくかどうかはっきりしていませんでした。装置を試作しながら、どのようにすれば指静脈をきれいに撮影できるか、高精度な認証ができるかを検討して、実験を繰り返していきました。
松田開発を始めるとき、半年後に予定されていた研究所の展示会を最初のおひろめの場にしようと決めました。装置をどのような形にすればよいか、どのくらいの大きさが適当か、どのようなカメラを選んだらよいかなど、検討が必要なことばかりでしたし、周りからは「半年で本当にできるの?」と言われることもありましたが、新しい技術をアピールする場として、ここを逃すわけにはいかないと考えたんです。
三浦確かに何もない状態でしたが、これまでにいろいろな指静脈認証装置を作ってきた経験から、「こうすればうまくいくんじゃないか」というような、ある程度のイメージはありました。
ただ、歩きながら手をかざした場合にどのような問題が起こるか、ということについては、やってみないとわからない部分が多くありました。開発期間が半年と短かったことから、まずはハードウェアを作ってみて、そこから具体的な課題を抽出し、一つ一つ解決していくことにしました。
松田従来の指静脈認証装置は、指を置く位置の上側に近赤外LED、下側に近赤外線カメラが設置されています。所定の位置に指を置き、その上から近赤外光を照射して、指を透過した光を下のカメラで撮影するという仕組みです。
図1 ウォークスルー型指静脈認証装置の外観
最初は、この仕組みをそのまま利用するため、認証装置の形をコの字型にして、通り抜ける手の上から近赤外光を当てることを考えました。しかし、歩きながらコの字型に手を通すのは案外難しくて、天井部分に手が当たってしまったりしたんです。そこで、思い切って開放的なL字型にしました。
また、歩きながら手をかざす場合、指の位置や角度がどうしても変動してしまいます。指の位置の変動に対応するため、複数のLEDを並べた「光源アレイ」を採用して、指がどの位置にあっても近赤外光を照射できるようにしました。
特に工夫したのは、手の位置を正しく検知して、指に近赤外光を照射することです。装置をL字型にしたことで、指の位置や角度だけでなく、手をかざす高さの変動も大きくなります。そこで、装置の下部に近赤外線カメラとあわせて3D距離画像センサーを設置し、このセンサーで指の位置を瞬時に検出して、光源アレイを制御できるようにしました。指に近赤外光が照射されるように、光らせるLEDを決めることで、L字型の装置でも静脈をきれいに撮影できるようになりました。
松田指静脈認証は、近赤外線カメラで撮影した指静脈画像から指の領域を切り出して、指静脈のパターンを抽出し、データベースに登録されている本人の指静脈のパターンと照合する、という流れで判定します。静脈認証装置の多くは、認証判定に1本の指の静脈パターンを使っていますが、ウォークスルー型の指静脈認証装置では複数の指の静脈パターンの組み合わせで、本人かどうかを判定するようにしました。
図2 ウォークスルー型指静脈認証装置の構成と認証の概要
実は、装置の形を開放的にしたことで、近赤外光LEDの照明や環境光の影響を受けるようになり、指1本あたりの静脈画像の品質が少し落ちてしまうのですが、複数の指の静脈画像を使うことで、認証の精度を上げる効果を実現しています。
三浦歩きながら手をかざすのは、指を所定の位置に置くことに比べると自然な動作です。ユーザーが装置に手をかざせば、複数の指の静脈が同時に撮影できます。そのうえ、複数の指の静脈画像を利用すると、1本の指の静脈画像での認証に比べてエラー率が一気に下がるので好都合、ということで「撮影できた全部の指の画像を使っちゃおう」ということになりました。
松田はい。装置の開発は、研究所の中の、ハードウェアの試作を担当する専門の部署の方々に協力していただきました。早い段階から打ち合わせをして、どういった形のものが作れるか、どのような形状が適しているかなど意見を出し合い、装置の試作品をなんとか間に合わせていただきました。
一方で、装置の試作品が届いてから光源アレイの制御や認証の処理を作るのでは、半年後の展示会に間に合わないため、わたしたちは、発泡スチロールを装置の形に切って簡単にLEDを配置したモックアップを作り、検証を繰り返しました。
三浦実験では、指静脈の撮影から認証判定までが0.5秒以内になることを目標にしました。指静脈パターンを抽出する処理と、登録されているパターンと照合する処理を改善したことで、目標を上回る0.3秒以内の認証判定を実現できました。
認証処理の改善とあわせ、装置全体の形状の検討にも取り組みました。例えば、歩きながら手をかざしたときに、指提示部からゲートの扉までの長さがどのくらいあれば、扉にぶつからずに通り抜けられるかは、実際に歩いて長さを測定し、そのデータを基に装置を試作していただきました。
三浦半年間で装置の開発まで実施し、展示会に出したことが評価につながったようで、社内では事業所技術賞をいただきました。ニュースリリースのあとは、社外からデモの依頼をたくさんいただいて、対応に忙しいくらいでした。
松田ニュースリリース当日にはテレビ局の取材もあって、いろいろな形で話題にしていただきました。そういった中、同じようにセキュリティ関連のテーマで研究を進めている別のチームの方々から「半年で本当にできたんだね」という驚き混じりの言葉を掛けられたときは、とてもうれしかったですし、気持ちよい達成感がありました。
松田歩きながらきれいに指静脈を撮影できるようになったので、今後は、指の領域を切り出して指静脈のパターンを抽出する部分、登録されている指静脈のパターンと照合して認証の判定をする部分の高速化をめざします。
ウォークスルー型指静脈認証装置は、たくさんの人が集まる場所のゲートとして開発していますが、いまはまだ試作の段階で、数千人、数万人単位で運用したことがありません。パターンの抽出と照合を高速化して、たくさんの人が集まる環境で本当に使えるのかという検証をする必要があると考えています。
三浦将来的には、ゲートで認証するすべてのところで使える技術です。乗車券や財布を持たずに、手ぶらで電車やバスなどの交通機関を利用できると便利かなと想像しています。そのためには、装置の小型化や低コスト化などの課題の解決に取り組む必要があります。
ウォークスルーに限らず、例えば、コンビニエンスストアなどでタッチパネルを操作して、そこに搭載されているカメラに指をかざすと会計ができるといった使い方もできると思うんです。それから、スマートフォンに応用することも考えています。わたしたちが新たに開発した技術を使うと、スマートフォンのカメラで撮影した指の画像から静脈パターンを抽出できます。これを本人認証に利用できるようになれば、スマートフォンで撮影した指の画像を登録しておき、ゲートに組み込んだスマートフォンカメラに指をかざしてコンサートなどのイベント会場に入れるなど、用途がどんどん広がっていきます。
三浦まずは、お話しした技術を実現することが目標であり、夢です。わたしたち2人とも、入社からずっと指静脈認証技術にかかわっています。これまでこだわりを持って研究、開発してきたので、これからもそこにこだわり続けて、安心・安全な社会を実現するために必要な技術を追求していくつもりです。
さらに、指静脈だけではなく、もっと認証精度の高い、使い勝手のよいものを模索して、生体認証の技術を発展させたいですね。
松田指静脈認証を使った製品は、銀行ATMやパソコンのログインなど用途が限られているので、もっと日常の中で触れる機会の多い技術にしていきたいですね。そのためには、より使い勝手をよくして、さらに認証精度を上げる必要があると考えています。
生体認証技術を、みんなが使うインフラの中に組み込まれる要素技術として確立させたいと思っています。