(2023年3月22日 公開)
日立製作所は、2020年より量子研究のオープンイノベーションプロジェクト「タングルジム」に取り組んでいます。このプロジェクトでは、量子研究の領域にアートの視点から新たな風を吹き込んでいただくために、クリエイティブディレクターの藤原大さんと共にすすめています。2022年12月には、最初のアウトプットとして「量子芸術祭 Quantum Art Festival 1/4」を六本木のAXISギャラリーにて開催しました。本記事では、プロジェクトの実行委員長を務める研究開発グループ基礎研究センタ 主管研究長の水野弘之と、同 基礎研究センタ 日立京大ラボ 担当部長の沖田京子が、藤原さんを迎えてプロジェクトの背景や見えてきた可能性、展望などについて、「量子とアートの融合の可能性」をテーマにイベント開催前に鼎談した模様と、水野主管研究長によるイベントを終えてのコメントをお送りします。
沖田そもそも「量子×アートプロジェクト」をなぜ立ち上げることになったのか、きっかけから振り返りたいと思います。
元々私は、量子研究の活動を広く発信するためには新しいアプローチが必要だなと考えていました。2020年頃、水野さんにそれを伝えたのがこのプロジェクトの始まりです。
水野職場でも以前から「何かやりたいね」という声はあったんです。普通に論文を発表したり研究精度をあげるだけではなく、何か違うアプローチでの量子研究に関する発信をしたいなと思っていました。沖田さんと話していてアーティストの知り合いが多いと聞いたとき、彼らに頼んだらどんな発信ができるんだろうかという話になったんでしたね。
沖田量子を実際に一般の生活者の暮らしまで届けるには、研究視点の言葉ではちょっと距離があると感じていたので、フューチャー・リビング・ラボで取り組んだHi Miuraプロジェクトなどで以前からお付き合いのあった藤原大さんとご一緒できれば、量子を知らない人にもメッセージを届けられるような、面白い表現の仕方が見つかるんじゃないかと思ったんです。
藤原さん最初に沖田さんからご連絡をいただいた時には、本当にふわふわーっとしたお話だったのを覚えています。あの時は、まだ量子という言葉も具体的には出ていなかったのではないでしょうか。
沖田最初は地域をどう活性化するか、という地域創生の文脈でお話をさせてもらった気がします。
水野日立は「社会課題解決」と言ってきていますが、課題を解決するためだけの技術開発になってしまうと、ちょっと悲しい感じもしていたんですね。その時に、アートなら一足飛びでもう少し違う表現ができるんじゃないかなと、素人ながら勝手な期待を抱いていました。
「研究内容の発信に対して抱いていたジレンマを、アートで解決できるのではないかという期待があった」と語る水野
水野技術の発信は年々難しくなっています。間違ってはいないけれど言い過ぎじゃないか、という誇大広告的な表現に気をつけるべきだと思うんです。「量子」も、そんな典型的なバズワードの一つです。かと言って正確に届けようとすると論文のような長い説明が必要になってしまい、一般の方には伝わりにくいというジレンマを抱えていました。
藤原さん2021年の春頃、日立の研究者の皆さんがいらっしゃる場で、パリコレの仕事を一緒にした、数学者のウィリアム・サーストンさんの話をさせていただきました。
ウイリアム・サーストンさんは、数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞された方ですが、研究中のトーラス空間が3次元では説明しにくいので、なんと下着のパンツを使って説明するんです。その勉強会に参加している学生達がみんな同じそのパンツを持っていて(笑)。サーストンさんは、たくさんあるパンツの内と外をひっくり返しながら、一生懸命私にトーラス空間を説明してくれたんだ、という話をしたところ、「数学研究者とデザイナーが仕事するなんて面白そうだね」と、日立の皆さんとも少し打ち解けた印象がありましたね。
沖田研究者の皆さんからも「なぜ量子研究をアートで表現するのか」という質問をたくさんいただきましたよね。技術をそのまま伝えたいわけではないという感覚を皆でシェアするまでに少し時間がかかったのかな、という印象もありますが、藤原さん自身は、日立の研究者の話を聞いてどう思いましたか?
藤原さんと研究者たちとの橋渡しとなった沖田
藤原さんこのプロジェクトには量子という特殊な入り口が用意されているので、私も勉強の連続です。一般的に事業の当事者は最終的にビジネスとして骨格を持った出口を設定する反面、どうやってその道筋を作ればいいのか迷っていたり、不安を抱えていたりします。
しかしプロジェクトは、そもそもどのような出口が良いかの方向を見つけることも難しい、世界中が出口を模索している挑戦的な事業です。皆で考えて試すきっかけをつくるところからプロジェクトをはじめるのがいいんじゃないかなと考えました。
沖田チームメンバーの反応はいかがでしたか?
水野メンバーにはいろいろな考えの人がいますから、反応もさまざまですよね。最終的に「やってて良かった」と思ってもらえるように、これから頑張らないといけないな、と思っています。
やっぱり、量子のことを変な風に扱われてしまうのではないかという心配はあります。広告やバズワードを研究者はすごく嫌うんですよ。できていないのにできたようなことを言って盛り上げるのはちょっと待って、と。嘘をつきたくないんですよね。ただ、やっていることが複雑で一般の人に分かりづらいからこそ、何とかしないといけないと思っています。
沖田そうすると、早く何かを作って技術を発信しよう、技術競争に勝とう、あるいは、バズワードを使ってやってる感を出そう、という流れから引き戻しつつ、慎重に色々な道を試してみたい、という感覚でしょうか。
水野「嘘をつかないで盛り上げる」というのがすごく重要であり、その塩梅が難しいなあと実感しています。
藤原さんこのプロジェクトの期間は5年間となっているので、あと3年程度あります。その中で、この前の話でも触れましたが、サイエンスとアートがつながるということを具体案として示し、社会にインストールできれば結構大きな力になるんじゃないかなと思っていますし、一番期待したいところですね。
沖田今回のプロジェクトには「タングルジム」という名前を藤原さんがつけて下さいました。名前の意味をぜひお聞かせ下さい。
藤原さん量子の世界では、エンタングルメントという言葉が必ず出てきます。すごく面白い言葉だと思ったので、私はそこから入りました。本もたくさん読みましたよ。同時に、研究している方の背中をずっと見ていると、すごく大変なことをしているなとつくづく思うんです。
アートは、作者が感じたことを、自身のことや社会的な意味に置き換えて物、器具、身体などを通じて成果物にします。自分の中にあるイメージを具体的にアウトプットするには、コンテクストや表現する技術が重要になります。量子は極小の物質です。人が見えない物質をコントロールするには理論や装置が重要なんだと思います。しかし、それだけではなく、研究者が自分の頭で空間イメージすると聞いて「なんだか似ているなー。」と共感しました。言語が違うだけで、研究者もアーティストだと思いました。そもそも、科学と芸術は元は一緒ですからね。
藤原さんは、「タングルジム」という言葉に込めた思いや、量子研究者を間近で見て感じたことを熱っぽく語った
研究者は人類の未知に挑戦しているんだなと思いました。量子コンピュータの研究が社会ともっと大胆につながることを希望するプロジェクト関係者にはそれなりの胆力が必要です。あきらめず、粘っこく社会とつなげる活動が必要になるだろうと。それには、関係者が能動的に社会に絡んで欲しいですね。フィットネス「ジム」で体を動かすようなフィジカル感覚と、エンタングルメントのエンをとって、絡むというシンプルな意味の「タングル」と、合わせてタングルジムしました。
沖田最初にタングルジムと聞いた時、どうでしたか?
水野なるほど、良いな、と思いましたね。
藤原さんあっ!初めて聞きました。嬉しいです。コロナ禍で人と会う機会がめっきり少なくなり、オンライン会議であっても「ジム行こうぜ」みたいな汗ばんだ感覚を呼び起こしたい意味も込めています。
沖田藤原さんとプロジェクトを進めていくうちに、従来の考え方ややり方とは少しずつ変わってきた部分はありますか?
水野工業製品としては、最終的にはしっかり形になるものを作るのが良いんですが、いまはまだそういうフェーズではないのかなと思っています。
沖田量子コンピュータを作るかもしれないし、コンピュータじゃなくなるかもしれない、それぐらいの揺らぎがある感じなのでしょうか。
水野ひょっとしたら研究者によって捉え方が違うと思いますが、私は少なくともコンピュータという枠組みの中で、量子研究をもう10年ほどやっています。量子コンピュータは計算機としては最終手段とも言えるもので、多分それを超えるものはこの宇宙上にはないんだろうと思っています。最終手段であるからこそ、これができたらコンピュータの研究はとりあえずひと段落つくと思っています。
沖田いま、このコミュニティではそこがどう進んでいるのか、同じ方向に向いているのかも、量子芸術祭を計画してゆく中で見えてきたのではないでしょうか。
藤原さんこの研究は専門性が極めて高いため、当然のことながら一般社会との接点が作りづらいところはあるようです。「はじめの一歩」となる今回の芸術祭では、その点をふまえた活動表現を念頭に置きました。たとえばロゴデザインは、初めの重要な仕事です。このロゴは、研究者から研究成果について教わったり、一般情報からイメージを広げました。研究者からは、「らしい」とか「ひょっとしたらそうではないかもしれない」と、1でも0でもあるというか、その中間を自由に行来するようなことを耳にしました。ロゴは、量子のように自由に活動して揺れ動いているイメージはどうだろうかと、イメージ画像を先に作ってからデザインチームと話してすすめました。
私たちの社会も量子のように揺れ動いているイメージがあります。VUCA時代といわれているように、先ほど決めたことでも、ひょっとしたらすぐに変わってしまうらしいと疑いながらもそれをポジティブに受けとめて生きるといえばよいのでしょうか。そんな時代の中で、人々はより一層、安心安全を求めるようになるのではないでしょうか。さまざまな社会課題を乗り越える社会のノウハウづくりのために、それを支えるインフラは今後も必要な仕事だと思います。社会がもの凄い勢いで変化している中で、量子コンピュータの研究と社会のこれまでの接点のあり方も、新たな視点が入ってきても良いのではないかと思っています。
「量子芸術祭」のロゴ。次回のロゴはどう変わっているのだろう。
ロゴを考える際、“量子くん”というダンサーがいたら、「俺は自由な表現がしたいんだ」と、量子を擬人化してみたんです。量子くんは世界最高の演技力と自由な性格の持ち主です。わがままな彼を抜群の表現に向かわせるには、すぐれたマネージャーや高性能な表現設備があることで、最高の演技力を世界中で見ることができる。量子コンピュータにおきかえれば「計算力」になる。
その自由度をいかに管理できるか。そのための器作りが量子コンピュータなんだとすると、管理できるのならロゴだって毎回変わってもいいと思うんです。自由に動きたいんだろうな、今日は気分が悪いらしいな、とか人間的な性格を付帯させれば理解しやすくなるから、そういう感覚でロゴを作れたら良いんじゃない? というのをチームで話していましたね。
日立製作所は、2020年より量子研究のオープンイノベーションプロジェクト「タングルジム」に取り組んでいます。このプロジェクトでは、量子研究の領域にアートの視点から新たな風を吹き込んでいただくために、クリエイティブディレクターの藤原大さんと共にすすめています。2022年12月には、最初のアウトプットとして「量子芸術祭 Quantum Art Festival 1/4」を六本木のAXISギャラリーにて開催しました。本記事では、プロジェクトの実行委員長を務める研究開発グループ基礎研究センタ 主管研究長の水野弘之と、同 基礎研究センタ 日立京大ラボ 担当部長の沖田京子が、藤原さんを迎えてプロジェクトの背景や見えてきた可能性、展望などについて、「量子とアートの融合の可能性」をテーマにイベント開催前に鼎談した模様と、水野主管研究長によるイベントを終えてのコメントをお送りします。
2022年12月8日から6日間開催された量子芸術祭 Quantum Art Festival 1/4の様子
藤原大
デザイナー
水野弘之
日立製作所研究開発グループ
Web3コンピューティングプロジェクトリーダ兼
基礎研究センタ 主管研究長兼 日立京大ラボ長
沖田京子
日立製作所研究開発グループ
基礎研究センタ 日立京大ラボ 担当部長