年度 | 歴史 |
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シンボルスポーツ「日立ソフトウェア女子ソフトボール部」として創部。 日本リーグ東日本リーグ(通称3部リーグ)加盟。 シンボルスポーツを何にするか決める際、「ソフトウェア」だから「ソフトボール」にしたというのが真相。 |
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横浜市民大会初優勝 |
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五大都市大会初優勝。 日本リーグ2部の入替予選に出場するが、入替戦への進出はならず。 |
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日本リーグ2部入替予選、および入替戦で勝利し、2部リーグ昇格決定! |
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圧倒的な強さで2部リーグを制し、わずか1年で1部リーグ昇格決定! ユニフォームの色から「白い旋風」と名づけられる。 |
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日本リーグ1部が決勝トーナメント制度となり、初年度から決勝トーナメント進出の常連となる。 |
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アトランタオリンピックに斎藤選手出場。予選で3打席連続ホームランなどを放って日本に勢いをつけるが、日本は4位でメダル獲得ならず。 国民体育大会(広島国体)初優勝。 |
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世界選手権に斎藤、石川選手が出場し銅メダル獲得。 国民体育大会(地元、神奈川国体)2度目の優勝。 |
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シドニーオリンピックに斎藤、田本、石川の3選手が出場。3選手の活躍により決勝まで進むものの、強敵アメリカの前に敗れ銀メダル。 この年は、日本リーグ1部悲願の初制覇! 国民体育大会(富山国体)3度目の優勝で2冠達成! |
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アテネオリンピックに斎藤、山田選手が出場。金メダルの期待がかかるものの、残念ながら銅メダルに終わる。 |
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世界選手権に斎藤コーチ、馬渕、遠藤、山田、西山、鈴木選手が出場し、銀メダル獲得。さらに、アジア大会では金メダル獲得。 国民体育大会(兵庫国体)4度目の優勝 |
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北京オリンピックに斎藤監督、田本コーチ、亀田マネージャー、篠崎トレーナーのスタッフ4名、さらに、馬渕、西山、山田の主力3選手が出場し大活躍、日本に悲願の金メダルをもたらす。 |
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世界選手権に斎藤監督、馬渕、山田、西山、藤原、瀬川、濱本、溝江選手が出場し、銀メダル獲得。 アジア大会に斎藤監督、馬渕、山田、西山、藤原、濱本選手が出場し、金メダル獲得。 |
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国民体育大会(山口国体)7度目の優勝 |
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世界選手権に山田、西山選手が出場し、日本に42年ぶりの金メダルをもたらす。 |
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後援会範囲の拡大に伴い、チーム名称を変更。 「日立ソフトウェア女子ソフトボール部」から「日立ソフトボール部」へ。 |
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世界選手権に西山、山田選手が出場し、2大会連続の金メダル獲得。さらに、アジア大会では4大会連続の金メダル獲得。 国民体育大会(長崎国体)8度目の優勝 |
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国民体育大会(和歌山国体)2年連続 9度目の優勝 |
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世界選手権に山田選手が出場し、3連覇ならず銀メダル獲得。 日本リーグ1部所属チームのセカンドネーム登録に伴い、社内アンケートにより「日立サンディーバ」となる。 |
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20年振りの国内開催となる世界選手権に山田選手が出場、銀メダルを獲得。 さらに、アジア大会では圧巻の強さで5大会連続金メダル獲得。 |
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13年振りの競技復帰となった東京オリンピックに清原選手が出場し、2大会連続の金メダル獲得に貢献。 |
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新たなトップリーグとして、日本リーグ1部12チームと2部4チームの16チームによるJDリーグが創設される。 日立は東地区2位でダイヤモンドシリーズに進出するも、初代王者の座は逃す。 |
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アジア大会に坂本(結)選手が出場、6大会連続金メダル獲得に貢献。 |
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世界選手権から名称変更されたWBSC女子ワールドカップに坂本、唐牛選手が出場し、10年振り4度目の優勝に貢献。 この年、JDリーグ東地区初優勝を成し遂げる。ダイヤモンドシリーズでも初のファイナル進出を果たすが、JDリーグ制覇とはならず。 |