温室効果ガスの削減、脱炭素(カーボンニュートラル)の実現に向け、モビリティ分野の技術開発に大きな期待が寄せられている。一方で、EV(電気自動車)やPHEV(プラグインハイブリッド車)の普及には多くの課題があり、日立グループでは環境問題に対しモビリティ分野を通して課題解決に向けた技術開発を多方面から進めている。今回は、研究開発グループ 電動化イノベーションセンタ主管研究長の中津欣也が登場。日立の環境問題へのフル・バリュー・チェーン(Full Value Chain)の研究開発の取り組みと、自身が開発に携わり多くのお客様に採用され十大新製品賞、市村地球環境産業賞、文部科学大臣表彰科学技術賞などを受賞している「直接水冷型両面冷却パワーモジュール」や「高電圧高出力インバーター」の開発経緯などについて語ってもらった。
(2022年3月10日 公開)環境問題は、世界の問題でもあるし、我々自身の身近なかつ最も大きな問題だと感じています。その中で、日立グループが解決に向けて取り組む中で、特に効果が期待できそうな分野の一つがモビリティだと考えています。
モビリティ分野は環境問題に大きな影響を及ぼしています。特に自動車のCO2排出量は、全世界の24%を占めています。つまり、4分の1のCO2を自動車が排出しているわけです。この自動車は、人の移動や物流を支え、長い間高度経済成長を支えてきたのです。だからこそEV(電気自動車)の普及が環境や経済を大きく変える可能性を秘めているのです。
EV社会の成長は、再生可能エネルギーや水素も含めたエネルギーミックスに対する多様化を牽引していきます。石油への依存を減らして、温室効果ガスや汚染物質の排出量を削減し、持続可能な環境や安全安心なエネルギー循環を作り出す原動力として働くのです。我々はこの様な考え方の下で、カーボンニュートラルに向けた1つの方向性として、自動車の電動化とエネルギーミックスをフル・バリュー・チェーンで取り組んでいるのです。
EV社会を実現するにはどのような課題があるでしょうか。そのひとつとして思い浮かべやすいのは、EVの性能向上でしょう。しかし、それだけではありません。世界中の街、都会、さまざまな環境でEVが使われるようになると、クリーンで使い勝手の良い充電環境をいかに提供していくかはEVが社会実装されるかどうかの分かれ道になります。充電システムも併せて、効率の良いエネルギーエコシステムを提供することが日立の使命だと思っています。EVの要素技術、充電システム、再生可能エネルギー由来の電力のデリバリーまで含めて、フル・バリュー・チェーンで取り組める日立は、優位なポジションにあると言えます。
電力はさまざまな用途で使われていますが、実は全発電量のおおよそ50%は動力源として使われています。すなわちモーターが消費しているのです。モーターをはじめとする動力源は100年以上の歴史があり、私は日立に入社以来、動力源の効率を高める研究を27年続けてきました。現在の日本の発電は、東日本大震災以降のゼロエミッション電源比率の低下により、約80%が火力発電に頼っています。CO2を大量に排出しているわけです。私は電力の最大の消費地である電動化された動力源の効率を1%でも高めることをめざして研究しています。具体的には、回路、実装、パワー半導体(*注)が融合したパワーエレクトロニクスの研究フィールドです。
注:インバーターやコンバーターなどの電力変換器に用いられ、電流をスイッチングにより制御する半導体素子
こうした道を歩むようになったのには、パワーエレクトロニクスの力でハイブリッド車(HEV : Hybrid Electric Vehicle )が誕生したことが影響しています。会社に入って2年目にHEVが発売され、衝撃を受けたのです。それまで一般産業向けのパワーエレクトロニクス製品である汎用インバータなどのコントローラを開発していましたが、当時「俺がやりたい」と直感しワクワクしていたことを思い出します。
日立のような大きな歯車の中にいると、さまざまな事業の状況が見えてきます。研究開発が重要な時期の事業もあるし、生産性の向上が重要な事業もあります。パワーエレクトロニクス関連の製品では、一般産業の技術が家電に展開され電気代を節約できるインバーター家電が大量に生産され、あっという間に世の中に広まりました。一方、気候変動や大気汚染など社会問題を引き起こしていた自動車業界でHEVが登場し、いよいよ「次は自動車の番だろう」と強く認識しました。HEVやEVの研究開発に志願したのはこうした理由でした。
現在までに多くの研究開発を進めてきました。成果が上がり事業が大きく成長した研究開発も幾つかありました。良い成果が出せた研究には、共通して製品ユーザーがワクワクする目標設定が有ったと感じています。最近の成果のひとつであるEV用インホイールモーターの開発もその一つです。インホイールモーターは、自動車のホイール(車輪)の中に装着できるモーターのことで、小型軽量化やエネルギーロスの軽減、更には居住スペースの拡大や乗り心地の向上など様々なシーンで同乗者や周辺環境に対して良い効果を提供できるのです。しかし、ホイールの重量が増加すると車としての運動性能に悪影響を与えてしまいます。これまで世界中の研究者が開発を進めて来ましたが大量生産される乗用車として実用化に至っていません。今回、我々が研究開発に取り組む際も、反対意見が多くありました。しかし、この反対意見こそが良きアドバイスと捉え、とことんまで軽量化する目標を建てたのです。結果は、材料まで見直す大掛かりな開発となりましたが、略目標が達成でき次の事業の柱へと成長すると期待しています。
EVに向けた充電システムの研究開発でも成果が得られています。EVは充電が必須ですが、充電には時間がかかりますし、従来の急速充電システムでは電源設備などが必要となるので設置場所が限られます。最近では、マンションやテナントビルなどの大型駐車場で急速充電のニーズが増えています。しかし、こういった大型駐車場の充電タイミングは、休日昼夜やその前後に集中することが多く、普段は使わない方が休みの日は急速充電を希望されることも多いようです。しかし、急速充電器を個別の駐車スペースに設けるには場所や投資が得られないことが大きな課題でした。我々の研究チームは、従来の大型で高価な充電器に対して、小さな充電器を組み合わせて作り制御することで、ドライバーのご要望に応じてその小さな充電器の組み合わせ方を自由自在に切り替え、ある時は数十台のEVを同時に充電し、次の瞬間には1台に向けて超急充電が可能なマルチポートEV充電技術の開発を進め、EV充電の課題解決に力を入れています。
フル・バリュー・チェーンという意味では、発電から消費までの電力システムの効率を高めることも課題です。実は送電経路にある変圧器は、非常にロスが多い部品です。電力を送電する際には必ず通る部品ですし、長期間にわたって使われる変圧器、すなわちトランスの効率を上げることは、人間で言えば血管の流れを良くすることにつながり、健康な電動化社会の実現に役立ちます。トランスは数十年前に設置されたものが徐々にリプレースされていきますから、ここに効率の良いトランスを置き換えていけば電気を効率よく末端まで届けることができるようになります。
その上で、末端で総電力の50%以上を消費するモーターを高効率化し、このモーターを制御するパワーエレクトロニクスを通じてフル・バリュー・チェーンの高効率化が実現できるのです。
製品ユーザーがワクワクする目標設定の二つ目として、パワーエレクトロニクスで用いるパワーモジュールの小型化、高出力、高効率化の研究開発を紹介したいと思います。まさに、ドライブするとワクワクするEV やPHEVを提供するために、従来の常識を覆す技術開発を進め小型高出力で効率の良いパワーモジュールを作ることができました。
1997年に京都で開催された地球温暖化防止京都会議(COP3)以降、世界各国の自動車会社が電動化を加速してきました。しかし、当時のパワーエレクトロニクス製品は大きくて自動車に乗せるようなものではないという世界共通の認識でした。その原因は、パワーモジュールの冷却システムの性能が低く、必要な冷却性能が得られなかったり、その性能を得るためにインバーターが大型化していたことにあります。
パワーモジュールには、パワー半導体が内蔵されスイッチ動作させることで電力を制御します。このパワーモジュールを内蔵しモーターを制御するのがインバーターです。パワーモジュールでは、モーターを制御する際に損失が4~5kWほども発生するため、家庭用エアコン1台分の消費電力を超えるような熱を上手に冷やさないと使えないわけです。
私たちは世界に先駆けて、パワー半導体を効率良く両面から冷却するパワーモジュール技術を開発しました。その方法は、パワー半導体を内蔵したパワーモジュール全体を冷却水に浸漬するというものです。半導体は基本的に水を嫌う性質を持っています。普通に考えれば水に漬けるということは考えにくいのですが、日立ではスーパーコンピューターを開発していた時代に半導体の水冷技術を培っていて、それを自動車用のパワーモジュールに展開することができました。
半導体を安全に水に漬けるというアイデアは、私自身が田植えをしている際にひらめいたものです。義父が田んぼを持っていて私も田植えを手伝うのですが、その時に田んぼの側溝に多くの水を流します。私たちは長靴を履いて側溝で泥を落とすのですが、水に濡れずに足が冷やされる感覚に気づいたわけです。その時「清涼飲料水のアルミ缶のようなものに半導体を入れて冷却すればいいのでは?」というアイデアが浮かびワクワクしました。飲料水の缶ならば密閉性があり水は入り込みません。半導体もこうした構造で冷やせると思いついたのです。
開発した「直接水冷型両面冷却パワーモジュール」は、側溝の様にシンプルな水路で半導体の両側を浸漬して冷却できる構造を取りました。ヒートシンクとして、アルミ缶の様に袋状にした金属の冷却フィンを開発したことで、安全にパワー半導体を浸漬して冷却できるようになりました。同時に金属製の冷却フィンでパワー半導体を格納したことで、放射される電磁エネルギーを遮断することができ、パワー半導体の高速スイッチングと低損失化を両立することもできました。世界初の技術のきっかけであり、私が発明した特許の構造は、田んぼからの発想だったのです。
直接水冷型両面冷却パワーモジュールを採用したインバーターは、2013年から多くの自動車メーカーに採用してもらっています。今後も多くの自動車メーカーへの提供が決まっています。開発したパワーモジュールを搭載したEVやPHEVが市場に提供されると、CO2の低減効果として試算するとおよそ0.1億トンにも上ります。これは大変大きな数字で、日本のCO2全排出量が11億トンですから、その1%を低減してしまうことになります。1つの製品によるCO2低減効果としてはものすごく大きいものです。今後はここまで開発した技術を活用して、さらに低減効果を広めていく必要があると考えています。
モビリティへの取り組みと田んぼのアイデアから生まれた直接水冷型両面冷却パワーモジュールですが、その適用範囲は自動車に限られたものではありません。例えばデータセンターの電源効率を高めて小型化できれば、都心などの土地の価格が高いところにデータセンターを設置することも可能になります。高効率で小型化に優れた直接水冷型両面冷却パワーモジュールは、すでにデータセンターの無停電電源装置(UPS)に採用してもらっています。自動車だけではなくて、今後急激に負荷が増えると言われているデータセンターなどの電源システムにも使えることで、様々な社会課題の解決に貢献できると考えています。
モビリティも、EV化だけでなく、さらに大きなイノベーションが期待されています。そのひとつが3Dで空間移動を実現する「エアモビリティ」です。すでにドローンビジネスが広がっていますが、物流や人流の効率化にエアモビリティの研究開発も重要です。
エアモビリティへの取り組みのとしては、私自身も参画して宇宙航空研究開発機構(JAXA)と2018年に航空機電動化コンソーシアム(ÉCLAIR)を立ち上げ、エアモビリティの技術開発を進めています。3年弱ですが、ジェット旅客機から空飛ぶクルマなどさまざまな航空機の電動化にかかわる研究開発を進めています。例えばジェット旅客機のエンジンの効率向上は頭打ちになっています。電動化技術を取り込むことでジェット旅客機の効率を高めることが、自動車と同じように起こるという認識です。世界各国の企業が乗り出し、新しい社会インフラとそれに関わる事業の創生が加速していますので、エアモビリティは早い段階で社会実装されるのではないかと考えています。カーボンニュートラルな社会の構築には、こうした新しい市場や仕組みを取り入れ進化させる必要が有り、そのために優位技術を的確に早期に展開していきたいと思います。
EV関連でも新しい技術開発を継続しています。そのひとつがEVの充電ソリューションです。EVは実際に使ってみると、充電時間が長く、充電が億劫だったり、そのために購入をためらう人もいたりします。それならば充電時間を半減できれば、ということでEV向け高電圧高出力インバーターを日立Astemo社と共同で開発しました。これは従来の400VのEVシステムの電圧を800Vに高めることで、充電時間を半減させることを狙ったものです。単純に充電電圧を上げるだけではなく、パワーエレクトロニクス機器内の絶縁技術などをすべて見直す必要がり、当時どのメーカーも実用化にまで至っていませんでした。私たちは、発電機などの絶縁材料技術を駆使して新たに直接水冷型両面冷却パワーモジュールへ適用し、量産EV向け800V対応のインバーターを世界で初めて量産しました。
私たちが作った800Vシステムを使えば、400km走るのに必要な充電が20分で済みます。1日200kmの走行ならば、10分で必要な充電ができるので、ガソリンスタンドでコーヒーを飲んでいる時間に充電ができてしまいます。日立が世界で最初に開発した800Vのシステムは、体験した人にEVがあっという間に充電できるワクワク感を感じてもらえます。いかにしてワクワクを届けるのか、それを開発者のエゴではなく、ドライバーの目線で困りごとを分析しデザイン思考を駆使して作り上げるのです。
800V対応のインバーターは、すでに欧州の自動車メーカーが採用してEVを製品化しています。他社も800V対応のEVを開発して、今後はさらに増えてくると考えています。そうした道筋をお客さまと共に日立が作り、社会現象を作ったと自負しています。
研究者としての自分、ひとりの人間として、自分の能力をどのように生かして、人生で何をするかを考えると、シンプルに「やりたいことを見つける」ことが大切だと思います。やりたいことは、何でも良い分けではありません。私の場合は、やはり社会や生活環境が将来に渡って子供たちにとって楽しく暮らせるようにするには何をすれば良いのか考えテーマを見つけ、周囲に提案して理解してもらって、自分の研究として育て、社会実装をしてきたことが鉄板のシナリオです。
これはまわりから見たら、「好きなことをしている」と見られることもあります。しかし、これは「好きなことをしている」のではなくて、熱中して仕事を楽しくするための段取りが上手なだけです。実はいつも人一倍苦労しているのですが、楽しくやっているので苦労に見えないわけです。直接水冷型両面冷却パワーモジュールも、人一倍苦労しましたが、たどり着いた先には追ってくる方は誰もいなくて、ビジネスが大きくなる原動力になっていました。
そもそも日立に入りたいと思ったのは、幅広い事業フィールドを持っていて、何でもできるワクワク感に惹かれたことがきっかけです。部品だけでなく、システムを作りたいと考え、日立に入社しました。
そこから27年、電気畑で特に動力源の効率向上を進める研究開発を続けてきて、お客さまと一緒に苦しんで一緒に悩んで一緒に働いて初めて伝えられるものがあり、それを共有することは重要です。デザイン思考はまさにそこを捉えていて、お客さまと課題を分かち合うことでワクワクしてもらえる価値を生み出していく共感のプロセスです。
この6年ぐらい、そういうことに気づいて、周囲の方にも楽しんでもらえるようになってきていると思います。デザイン思考も昔は少数で行っていましたが、今では多くの仲間がふえてきています。デザイン思考では気楽に何でも相談し発想することが重要です。日立の研究者も、これから社会に出る学生さんも、年齢などは関係なくワイワイがやがやと議論し、世の中の皆さんにワクワクしてもらえる技術や製品そしてサービスを共に提供していきたいです。そして、これから企業を選ぶ研究者の卵の方は、「何でもできるワクワク感」を、会社を選ぶときの参考にしてほしいと思います。
中津欣也(NAKATSU Kinya)
日立製作所 研究開発グループ楽しく発想するマインドセットを持つための一冊
研究部の部長だったころに、会社からの勧めで、デザイン思考を学ぶためにスタンフォード大学のd.schoolに通わせてもらいました。この本『クリエイティブ・マインドセット 想像力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法』 (トム・ケリー、デイビッド・ケリー著、千葉敏生訳、日経BP)は、d.schoolの創設者たちがデザイン思考のノウハウを語った教科書です。ここで学んだことは「誰でもクリエイティブなマインドセットを持っていて、それを引き出すことがデザイン思考」ということで、楽しくやらない限り自分自身も周囲の方もお客様のマインドセットは前向きにならないことも実感しました。人生でマインドセットが一番大きく変化した体験でした。是非、気楽になんでも話をしてリラックスしながら相談し、深く分析して発想するというデザイン思考のマインドセットを多くの研究者に持ってもらうための教科書にしてもらいたいです。
世界中の街、都会、さまざまな環境でEVが使われるようになると、使い勝手が良く地球に優しい充電環境をいかに提供していくかはEVが社会実装されるかどうかの分かれ道になります。充電システムも併せて、効率の良いエネルギーエコシステムを提供することが日立の使命です。