直江 和明(なおえ かづあき)
研究員
摩擦や熱、電流などから物体を保護する方法として、対象を膜でコーティングする「成膜」という手法があります。
一般的なセラミック成膜の場合、成膜の対象や原料のセラミック材の加熱が不可欠ですが、「エアロゾルデポジション法(AD法)」は、常温のままセラミック粒子を対象に吹き付ける、熱のいらない成膜方法です。
日立は、この方法を実際の製品に適用すべく、低コスト化技術の研究を進めています。
(2015年5月7日 公開)
直江例えば、切削工具のように、ものに擦れたりぶつかったりする表面を膜で覆う、という使い方が一般的です。ガスタービンのような、高温で使うものにも適用されています。熱を伝えにくい膜で覆うことで、ガスの熱がタービン自体に伝わらないようにするのです。ほかには、小さなものだと電子デバイスの絶縁にも使われています。
図1 エアロゾルデポジション法の仕組み
直江一般的には、セラミックを原子・分子レベルまで分解して堆積(たいせき)させる方法や、セラミックを溶かしながら吹き付ける方法などによって、対象物にセラミック膜を形成します。これらの方法では、膜を付ける対象物や、膜の原料となるセラミック材を高温に保つ必要があります。
今回の「エアロゾルデポジション法」も成膜手法の一つですが、やり方が異なります。粒径1µm程度の微細なセラミック粒子をガスに分散させ、それを高速で基板に吹き付けて膜を作るんです。粒子をガスに分散させた物質を「エアロゾル」というので、エアロゾルデポジション法(AD法)といいます。
直江従来のセラミック成膜手法と比べて、AD法のメリットは、室温で成膜できる点です。先ほどもお話ししたとおり、成膜対象物や原料セラミック材の加熱が必要な従来の手法だと、対象物が熱によって変質し、本来の特性を生かすのが難しいことがあるのです。その点、AD法は室温で原料のセラミック粉末をそのまま吹き付けるだけなので、成膜対象物が熱の影響を受けることなく成膜できます。
AD法は2000年代になって開発が進んだ、まだ歴史の浅い成膜手法です。応用例や特性に関する研究は進んでいましたが、実際に製品に適用するために必要な低コスト化技術に関しては、十分な知見が集まっていませんでした。そこで我々は、AD法の低コスト化技術の研究を進めることにしました。
直江AD法では、基板に吹き付けた粉の一部は膜になりますが、膜にならなかったものは周囲に飛び散って、無駄になってしまいます。粉が膜になりやすければ、無駄が減ってそれだけコストを抑えることができるんです。
そこで、膜になりやすい粉って、いったいどんなものなのか、ということを追求しました。わかってきたのは、粉が「つぶれやすい」と膜になりやすいということ。それと、粉の水分を除いてから吹き付けると膜になりやすいということ。この2点でした。
直江そもそも大前提として、粉の作り方って、一つじゃないんです。同じ素材でもいろいろな作り方があって、その作り方によって、膜になりやすかったり、なりにくかったりします。こういう風に違いが出るということは、膜になりやすい粉には、AD法に適した何らかの特徴があるはずです。その特徴の一つが「つぶれやすさ」だったということです。
AD法で作った膜を拡大して見てみると、粒子が変形していることがわかります。基板に粒子をぶつけたことで「つぶれている」んです。このことから、「つぶれやすさ」と成膜には相関関係がありそうだ、と思いました。そこで、素材は同じで作り方の異なる粉をそれぞれつぶして、そのつぶれやすさを測定することにしたんです。
ちょうどそのころ、同じ部署で別の研究をしている方が、粒子をつぶす試験をすることになっていました。その方に「一緒にどう?」と誘っていただいて、じゃあ僕の粉もお願いします、と(笑)。
図2 粒子変形エネルギーと衝突時の運動エネルギー
直江粉の作り方によって粒子のつぶれやすさがかなり異なっていました。例えば、Al2O3(酸化アルミニウム)の生成方法に「バイヤー法」と「気相法」という製法があります。バイヤー法で作った粉は膜になりやすくて、気相法のは膜になりにくいんです。これらの粉を分析した結果、やはり、気相法よりバイヤー法の粒子の方がつぶれやすかった。膜になりやすい粉はつぶれやすかったんです。
つぶれやすいってどういうことかというと、「変形エネルギー」、つぶれるのに必要なエネルギーのことですが、この力が小さくて済むということです。逆に、つぶれにくいというのは、変形エネルギーが大きいということです。
それぞれの変形エネルギーはグラフのとおりです。単にバイヤー法と気相法を比較するのではなく、AD法の運動エネルギー推定値、これは基板に粒子がぶつかるときにかかる力のことなんですが、こちらもあわせて見てみるとわかりやすいと思います。バイヤー法の粒子の変形エネルギーは、赤い帯の部分、AD法の運動エネルギーの範囲内です。つまり、粒子がつぶれやすいので、基板にぶつかるときの力でちゃんと粒子がつぶれ、膜になるんです。
一方、気相法は、粒子の変形エネルギーがAD法の運動エネルギーよりも上にはみ出していますよね。これは、気相法の粒子がつぶれにくくて、基板にぶつかるときの力だと強さが足りない、ということなんです。このことから、効率的に膜を作るには、変形エネルギーが小さい、「つぶれやすい」粒子を選択した方がいいことが明らかになりました。
図3 装置の外観
直江AD法では、吹き付ける粉に水分が付着していると、膜ができにくくなったり、膜の特性に影響を与えたりします。そこで、粉の水分を除き、そのまま吹き付ける仕組みを開発しました。
粉の前処理と管理はAD法のポイントなんです。
買ってきた材料をそのまま吹き付けると、成膜できたりできなかったりします。なので、以前から材料の水分除去は実施していました。ただ、事前に水分をしっかり飛ばしたとしても、装置にセットするときに大気にさらされてしまうと、また水分を含んでしまい意味がありません。
水分を除去した粉末を大気中に出さず、そのまま一気に成膜に持っていくことにこだわって、装置を開発しました。この装置だと膜ができやすく、望ましい特性を備えた膜になります。
直江実用化を意識していたので、さまざまな面ですべて合格点をとらないといけない点が難しかったですね。膜の強度はどれくらいか。高温から低温、そしてまた高温に、というような温度の変化を繰り返したとき、どれくらいで壊れるか。どの程度熱を通しやすいか。もちろんコストもチェック項目の一つです。どれか一つが優れているだけではだめで、すべてが一定水準以上でないと実用化できません。
ですが、一つの特性を伸ばそうと検討した結果、別の面でも優れたデータが得られる、ということもあります。今回がまさしくそのケースでした。実は実用化に向けて、もう少し電気を通しにくい膜にする必要があって、最初のうちは、電気抵抗を上げることに注力していました。電気抵抗について検証していくと、ポイントは「水分」にありそうだ、というところに行き着きました。さらに分析してみると、水分は電気抵抗だけでなく膜のできやすさにも影響を与えていました。最終的には、電気抵抗を上げることはもちろん、成膜効率の向上にもつながる知見が得られたのです。
ある目的のためにやったことが、ほかでもさらにいい結果に結びつくときもある。よくないデータでも「何が原因なんだろう?」とポジティブにとらえて突き詰めていくと、研究が進むんだなと実感しました。研究のおもしろさは、こんなところにあるんだと思います。
直江はい。AD法では、吹き付けた粉のうち、基板に付着しなかったものは飛び散ってしまうとお話ししましたが、この装置は、飛び散った分をもう一度吹き付ける仕組みを備えています。粉末を循環利用することで、いっそう効率よく成膜できるようになりました。ほかにも、吹き付けるノズルの数や形状、間隔などの点でも、たくさんの工夫を盛り込みました。製品に適用した場合のコスト分析も実施したので、実用に耐えられる仕様になっていると思います。
直江これからは、材料自体の開発が重要になると思います。今回は、膜になりやすい粉を選ぶ方法を見つけましたが、もっとAD法に適した粉を自分たちで作ることができそうだな、と感じています。例えば、粒子のサイズにはばらつきが存在していますが、ある特定のサイズの粒子だけに統一してみたり。一つの材料だけでなく、いくつか組み合わせてみたり。材料の開発をきわめれば、さらなる高品質化と低コスト化が実現できるのではないかと思っています。
直江ちょっと過去にさかのぼってお話しますと、学生時代、わたしは金属材料やセラミック材料を扱う専攻で、材料自体がもともとどういう特性を持っているのか、ということを調べていました。AD法を研究するようになったのは日立に入ってからです。最近は、AD法も継続していますが、主にリチウムイオン電池の製造プロセスを研究しています。学生時代は「材料自体」が研究対象でしたが、社会人になってからは、材料からどうやってモノを作るかという「プロセス」が対象になりました。
AD法の研究を通じて強く感じたのは、どんなに材料がよくても、それを加工するプロセスが悪いと材料の特性を十分に引き出せない、ということです。これからも、材料の特性を生かすためのプロセスにこだわって研究していきたいと思っています。