日立製作所研究開発グループの東京社会イノベーション協創センタ(以下、CSI)では、デジタル・ネットワーク社会の時代に新しく形成される習慣や文化とは何かを問い、技術がそこではどのように使われていくべきなのかを追求するビジョンデザインプロジェクトを推進してきた。CSIではこれまでのビジョンデザインの成果を踏まえ、フューチャー・リビング・ラボ(以下、FLL)という実践活動にとりくんでいる。このFLLについて、ビジョンデザインプロジェクトの柴田吉隆 主任デザイナーと、サービスデザイン&エンジニアリング部 森木俊臣主任研究員に話を伺った。
(2020年1月9日 公開)
柴田フューチャー・リビング・ラボ(FLL)とは、これまで体験したことのないようなさまざまな社会変化が起きるなか、地域の多様なステークホルダーが参加しつつ、そのなかに最先端技術や知見を導入し、オープンかつ長期的な取り組みによって地域が抱える問題を解決していく方法論のことだ。ヘルシンキやコペンハーゲン、アムステルダムやロンドンといったEU各都市で先行例があり、コミュニティデザインの領域では、デザイナーがパブリックセクターに積極的に入っていく、リビングラボと呼ばれる流れが実践的なかたちで進んでいる。
日本では2016年に内閣府から「Society 5.0」というコンセプトが出た。当時はドイツの「Industry 4.0」が注目されていたが、それに対して日本は「インダストリー」ではなく「ソサエティ」、つまり人が集まっている状態の未来を描こうとしたことに共感した。ただ実際にふたを開けてみると、そこでの具体的な提案にはやや違和感があった。たとえば「Society 5.0(超スマート社会)」は、英語にすると「super smart society」と訳されているが、それに対し我々は「beyond smart society」をめざすアプローチをとっている。たんなる利便性を超えた新しい価値を描かなければならないと考えるからだ。
そこで2010年頃からはじめていたビジョンデザインの活動を再定義し、次のステップに進めるために2016年に再始動した。再始動後は、人々の生活の中に生まれる新たな価値が技術によって支えられる未来のシーンを、主に映像というかたちで描いてきたが、そうした場面は都市中心部よりも周辺地域が舞台となることに気がついた。
こうしたことを考えていたタイミングと、CSIの赤坂拠点から国分寺・中央研究所への移転が重なり、我々が描いたビジョンが実践に移されたとき、地域の方々とともに新しい価値を本当に実現できるのかを検証するため、未来志向のリビングラボというやり方を採用した。
「その場所」でなければできないことを実現するため、国分寺市の地域コミュニティの中に我々デザイナーやエンジニアの個々人がネットワークを築き、FLLの活動を始めている。まだ始まったばかりだが、国分寺市という自治体が抱えている課題というよりも、この地域に住んでいる一般の方々がこれから抱えるであろう課題を先取りし、将来に向けて何をしていけばハッピーになれるかを考えている。
実践の規模としては国分寺駅周辺といった「顔が見える範囲のコミュニティ」がちょうどよいと考えおり、地域の地元の企業や商店会、あるいはまちづくりを行っている個人やグループの方々とともに活動を始めたところだ。
森木私はブロックチェーンや仮想通貨の研究者としてFLLに参画している。もともと中央研究所でビジネス向け大型計算機の研究をしていたが、その後はストレージ系の開発に移り、さらにブロックチェーンや仮想通貨を専門とするようになり、2016 年から1年間、シアトルに出向した。
シアトル滞在中に、西海岸のポジティブで自由な空気に接したことが大きな転機となった。組織の壁が薄く、かつ技術に対するリスペクトがあり、一種のベンチャー気質ともいうべき「この技術で一山当ててやる」といったアグレッシブな雰囲気に新鮮な刺激を受けて日本に戻ってきた。
研究開発の手法においても、すぐに使えるサービスを前提とするDevOpsやアジャイルといった考えに触れた。従来の研究開発の観点からするとオモチャみたいなものかもしれないが、明日からでもすぐ使えるものを作ろうというアプローチだ。
金融系のBtoBのお客様が相手の場合でさえ、シアトルでは「こういうものがあるので試してみない?」とカジュアルな感じで、ミートアップのようなかたちで人と人とがつながっていた。向こうではそういうやりかたでベンチャー企業が大企業に対してもどんどん入り込んでいくことができた。
こうしたシアトルでの体験から、これまでのトラディショナルな営業のやり方ではスピード感としてまったく間に合わないこと、また地域で実際に生活している人に受け入れてもらえるサービスでないと真のイノベーションは起こらないということを感じていた。そこで日本に戻ったとき、次の職場としてCSIを選んだ。
森木日本に戻ってからはしばらくブロックチェーンに関する研究開発をやっていたが、これは人間中心ではなく、きわめて技術オリエンティッドなかたちで進んでいる。大きな可能性があることはたしかだが、ビットコインの事例が象徴的なように、仮想通貨でひとやま儲けたい人が出てきたり、「将来の銀行はこうなります」というモックアップをつくって金を集めたらそこで終わりといった類の、生活者とはなんの関係もない話が多く、やや失望していた。
どうせやるのであれば、私はブロックチェーンで真のイノベーションを起こしたい。そのためには生活者にとっての「お金の流れ」を変えるようなことまでやらないと、研究開発として金融をやる意味はないと思っていたところ、飛騨信用組合の「さるぼぼコイン」や千葉県木更津市の「アクアコイン」など、日本国内でも地域通貨をデジタルでやっているところが出てきた。それと並行して2017年の後半くらいから、シルビオ・ゲゼル(1862~1930年、独・経済学者)が提唱する「減価する通貨」の考え方をITでやれないかと考えていた。
そうしたタイミングと、国分寺・中央研究所に「協創の森」を開設するタイミングが重なり、いままでの延長線上の研究ではない、大きいアジェンダを立てた研究の社内公募があり、日立の中だけでなく地元の金融機関や企業、商店などを巻き込んで地域通貨をやりたい、と手を挙げた。
幸いにこの提案が採用され予算も付いたので、国分寺の地元の方とコンタクトを取ろうと、市の商工会や青年会議所と付き合いがある北口商店街のクリーニング屋さんに相談に行った。さらに国分寺青年会議所(JC)の前会長さんを紹介していただき、これからは地域の時代になるので一緒にやりましょうと申し上げたところ乗っていただけた。さらに商工会長さん及び事務局の方々、市役所の経済活性化委員会の下部組織であるポイント分科会の方々ともつながることができた。
じつはこの分科会では地域のポイントをなんとかするという課題を抱えていたが、スマホ対応や消費増税対応といった負担があり、やや行き詰まっていた。2018年の5月にそこでの会議に呼んでいただいた際、ブロックチェーンなどの話をしたところ、なにか地域通貨的なことをデジタルでやろうという話になり、その年の夏に「ぶんじバル」という地元の街バルイベントで実施することになった。
「ぶんじバル」は以前から北口商店街でやっていたイベントで、昨年が7回目だった。毎回、名刺の横幅くらいの7枚綴りのチケットを1枚400円で売り、それをつかって街で飲み歩いてもらうという催しに、地元の42店舗が参加して1週間続くというイベントだ。のべ約3千枚のチケットで120万円が動くが、これまではすべて紙のチケットと現金でやっていた。換金時に紙のチケットを何百枚も持ってくるのも大変だし、レジの後ろにしまい込んだまま失くしたりすることもあったという。そこで、「ぶんじバル」用のチケットをスマホのアプリにしようということになった。
柴田「ぶんじバル」のアプリ設計にはエンジニアのチームだけでなく、デザイナーや文化人類学の研究者からなるビジョンデザインのチームも参加した。
森木デザイナーチームにも加わってもらい、「そもそもなぜ地域通貨をやりたいのか。そこにブロックチェーンをどう使っていくのか」を、地元の方々と一緒に考えていった。そこでわかったのは、大枠として地産地消経済や「人の顔が見える経済」という絵は描けるが、それを地域の人が選好して使うという絵を描くのはなかなか難しいということだ。
愛着をもって地域通貨を使ってもらうためには、貨幣としての価値と社会関係資本の両方を包含したアプリケーションが必要と考え、まずそのための基盤をつくろうとした。いわば「いいね!」でつながっていくような世界だ。具体的には、スマホ上で「紙のチケットのもぎり」みたいなことをするだけでは、お店に行ってピッとやって終わり。それだけではつまらないので、お客さんが持ってきたスマホの反対側で店員さんが一緒にタッチしないと決済が終わらないようにした。むしろ面倒くさくしたところ、店員さんが一緒にタッチするというところが、結果的に大好評だった。
「ぶんじバル」イベントで試行したチケットアプリ
柴田「ぶんじバル」のプロジェクトと並行して、デザイナー・チームは国分寺近辺でコミュニティデザインに取り組んでいる人たちとコンタクトをとっていた。
我々が大事にしていたのは「信頼」というテーマだ。これからの社会では人と人のつながり方や、人とモノのつながり方が大きく変わっていく。そのなかで、新しい「信頼」のかたちが出てくるだろうが、それは一体どのようにして育まれていくのか。地域の方々とそのような実践ができたら面白い、という話をしていくなかで、国分寺で地産地消を進めている「こくベジ」という魅力的なプロジェクトと出会った。
「こくベジ」は名水百選の水が湧き出すというこの地域の近隣農家でとれた農畜産物を、国分寺駅周辺の飲食店で使ってもらうなど、地域のものを地域で食す文化を広める国分寺市の施策だ。我々が知り合った人たちは、農家の生産と飲食店の注文をつなぎ、野菜を農家から飲食店まで実際に運んでいく、「こくべじ」の中核ともいえるネットワークを担っていた。
彼らとなにが一緒にできるだろうか、というアイデア出しをしていくなかで、「地域の野菜を地域で食べる」という仕組みのすばらしさを地域の人によりわかってもらえたら、「地域のつながり」が強くなるのではないかという話になった。「こくベジ」は素敵な取り組みだが、レストランで「こくベジ」を食べようと食べまいと、一般の市民の方の「消費者」という役割は変わらない。そこで消費者である彼らの役割を変え、「地産地消」の仕組みの中心に置いたら、なにかが変わるのではないかと考えた。
具体的には、まず国分寺駅に野菜を集め、食べたい野菜を選んでもらう。さらに選んだ野菜を調理してくれるお店を選び、自分で野菜をそこまで持って行き、そのお店で調理してもらって食べる。それまでは「こくベジ」の人たちが野菜を運んでいたが、その部分を地域の人が実際に担うことで地産地消の仕組みの中に入ってもらい、その意味や良さを感じてもらうのはどうか。去年の8月頃にそうしたアイデア出しをし、「野菜を選び、飲食店とつながり、その店までのナビゲーションをする」というウェブアプリをつくり、11月に開催された「ぶんぶんウォーク」という国分寺のイベントで実際に行った。
さらに、これらと並行して、国分寺市近隣の小平市にある武蔵野美術大学とは、「信頼」をテーマに約3カ月の期間限定プロジェクトを起こした。昨年8月末に武蔵野美術大学の全学科・全学年から募った約30人の学生に集まってもらい、「とりかえっこ」というテーマでワークショップを行った。隣の国立市にある一橋大学の学生もこのワークショップに参加してもらい、国分寺の中で起こる新しい「とりかえっこ」とはなんだろう、ということについてアイデアを出しあった。
昨年11月の「ぶんぶんウォーク」では「こくベジ」の人たちと学生さんと我々の三者が「信頼」や「非貨幣経済」をテーマに4つの企画を行った。これはとくに地域通貨は用いていないが、貨幣の交換で清算されないつながりをつくるという観点では、新しい地域通貨の使い方を考える活動であったと考えている。
森木仮想通貨はまだ技術的にこなれていないところが多い。例えば、お金のやり取りを仲介する「ノード」と呼ばれる計算機がある。現実の社会に当てはめると銀行の支店に相当するわけだが、これらがすべて対等として設計されている。このため、全部の支店の入出金データを全支店に撒くという方法を取っており非常に処理効率が悪い。いくつかの代表ノードだけに渡して順番に伝搬させるなど、改善のためのアルゴリズムがいくつか提案されているが、現状ではすぐに皆が使える状況にならない。将来、たとえば1ノードをスマホ1つでいける時代になれば、仮想通貨は爆発的に伸びるだろうが、そこを見すえつつも、いまできる技術レベルで人が生態系として管理できる範囲で価値があるところをやろうと考えている。
最終的にめざしているのは、大枠でいえば技術の民主化、コモデティ化だ。昔はプログラムを書ける人がごく限られていたが、大型機とパンチャーの時代からワークステーション、PCとダウンサイズされ、いまはGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェースの略)で少しさわればプログラムができるところまですそ野が広がっている。これまでは国家だけが貨幣を刷り、限られたパスだけで回してきたが、これからは自分たちでもお金をつくれるという世界になってきている。「ITの民主化」と「お金の民主化」が進んでいくなかで、特定の人たちだけが大金持ちになって喜んでいるのではない世界をつくりたい。
柴田最終的には新しい社会システムをつくる、あるいは新しい社会の中での日立の役割を見つけていくのが事業会社としてのゴールだと考えている。いま国分寺市で「こくベジ」の方々や商店会・商工会とやっている地域通貨の取り組みのようなものが、いろいろな地域の方の主導で増えていくといい。我々はそれをうまく束ねていくような受け皿的なものがつくれたらよいと考えている。ビジョン・デザイン・プロジェクトが描く新しい時代の「顔の見える経済」のためのアイデア構築はイギリスの地域住民の方に協力を得たが、今後FLLの活動の場として、国内外で取り組んでいきたい。
協創棟にあるFLLのプロジェクトルーム
コミュニティデザイナーの山崎亮さん(studio-L代表)にはたくさんの著書がありますが、中でも「縮充する日本」(中公新書)は、成長期につくった社会システムを「着替える」必要性についてわかりやすく説明してくれていて参考になります。また、自分のデザイナーとしての役割を考えるうえでは、ロベルト・ベルガンティの「デザイン・ドリブン・イノベーション (NextPublishing)」(クロスメディアパブリッシング、2016年)や、クラウス・クリッペンドルフの「意味論的転回―デザインの新しい基礎理論」(SIBaccess Co. Ltd.、2009年)は、読みづらいところもありますが、いろいろと気付きを与えてくれて、元気になれる本だと思います。
柴田吉隆
東京社会イノベーション協創センタ ビジョンデザインプロジェクト 主任デザイナー
基本的にジャンルにはこだわりなく、そのときの感性で何でも読みますが、なかでもファンタジー物は好物です。地域通貨との関連で言えば、ミヒャエル・エンデを避けては通れません。「モモ」(岩波書店)では人々の時間を奪っていく銀行員が描かれていて、主人公のモモがカネにあくせくする人々になぜと問いかけます。また「はてしない物語」(岩波書店)では想像力とそれに向かって努力することの大切さを教えてくれます。現代ほどカネに人々の考え方が縛られている時代はなく、200~300年後に我々がどう描かれるのか興味は尽きません。
森木俊臣
東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン&エンジニアリング 主任研究員