日立では、リスクシミュレーションサービス「Risk Simulator for Insurance」や、IoTを活用した新たな保険サービスなどを通じて、ヒト・モノ双方に対するリスク分析技術を起点とした新たな価値提供を目指すリスク・インサイト事業をスタートさせています。そんな同ビジネスを牽引する御三方にお話を伺いました。
新家 隆秀
金融BU戦略本部 Lumada事業統括部 部長
2016年よりデザインシンキングをベースとした(研開)NEXPERIENCEを活用した顧客協創による事業創生にチャレンジ。複数の保険会社との顧客協創により、新規事業を創生し、現在、社内の他BUとの連携によるScale by Digitalにより、業界の垣根を超えた付加価値向上事業に取り組み中。
植木 洋輔
金融第二システム事業部 金融システム第四本部 部長
2010年に機械研究所(当時)に入社後、日立グループの各種ハードウェア製品の信頼性設計や評価に関する研究開発に従事。2021年から現部署に異動し、モノやヒトのリスク分析技術に基づく事業の企画・開発に従事。博士(工学)、日本機械学会会員
西川 元太
金融BU戦略本部 Lumada事業統括部 技師
2015年より顧客協創による事業創生プロジェクトに複数従事。2017年に米国シリコンバレーへ赴任し、Fintechの研究ラボにて事業創生に携わる。2019年以降、IoT×保険を主軸に、日立のIT・OT・プロダクトを活用した金融機関との協創プロジェクトなど、新規事業の企画・開発に取り組み中。
まずは金融とリスク分析技術が結びついたきっかけを教えていただけますか。
新家:
2015年に金融ビジネスユニットで新規事業創出を担う我々のチームが組成されたときに、日立の中にどんな強みがあるのかを調査したんです。そこで見つけた技術が、「特定健診とレセプトデータから生活習慣病の発症率と医療費を予測するモデル(以下、病態遷移予測モデル)」でした。ちょうどその頃、研究所で「NEXPERIENCE*1」という日立の協創方法論が生まれ、「実務に適用できるか試してもらいたい」と声がかかっていたんです。そこでNEXPERIENCEの手法を用いながら、チーム内で新規事業のアイデア創出を行った結果、「病態遷移予測モデルを応用すれば、保険会社に新たな価値を提供できるのではないか」という発想に至りました。そのアイデアを持って、いろいろな保険会社にアプローチしていく中で、2016年から第一生命さんと共同研究を始めることになりました。
*1:パートナーとの協創を通じて新しいビジネスやサービスをつくり上げていくための日立の協創方法論で、「課題発見」「解決案創生」「価値検証」の3つのステップで社会イノベーションの創生や、お客さまの課題解決をナビゲートするもの。
その共同研究の結果が、保険会社向け医療ビッグデータ分析ソリューション「Risk Simulator for Insurance」の提供につながっているんですね。
新家:
はい。我々が保有していた病態遷移予測モデルは、あくまでも日立健康保険組合で組合員の保健指導や医療費低減に活用するものでした。それを実際に保険会社のサービス開発や業務に適用できるようにするには、我々が保険会社の業務知識を身につける必要がありました。他方、第一生命さんは、医療ビッグデータの利活用を推進されていましたが、データ分析技術やデータサイエンティストの育成に課題感を持っておられました。業務知識が欲しい我々と、技術が欲しい第一生命さんは、互いに補完関係にあった訳です。そこで、第一生命さんと共にNEXPERIENCEを活用し、将来求められる保険サービスをワークショップで検討しました。また、そのアイデアの実現に向けては、我々の研究者が医療ビッグデータの分析を繰り返す中で、多くの保険会社に活用していただけるソリューションとして「Risk Simulator for Insurance」を開発するに至りました。
現在「Risk Simulator for Insurance」は、どのようなところで導入されていますか?
新家:
ベトナム最大手の国営保険会社であるBaoViet損保さんに導入し、手軽に生活習慣病の発症リスクを評価できるサービスとしてご活用いただいています。ほかにも、栃木県さんでは糖尿病の重症化予防に特化した独自の予測モデルを構築することで、保険指導の効率化にご活用いただいています。さらに最近では、楽天生命さんに導入いただき、「Risk Simulator for Insurance」が出力したリスク評価結果をもとに、保険の引受業務をAI化するプロジェクトを進めています。
「Risk Simulator for Insurance」は主に生命保険会社向けのヒトに関するソリューションだと思いますが、損害保険会社向けのモノに関する取り組みも進められていると伺いました。こちらはどんなきっかけで始まったのですか?
西川:
はい。モノ向けには2019年から東京海上日動さんと協創を始めています。東京海上日動さんはさまざまなドメインの事故データをお持ちでしたが、ドメインごとに技術者や分析者を取り揃えるのは難しいという課題がありました。他方、日立は製造業をはじめとする幅広いドメインで培ってきた技術力やIoTデータの分析力を保有しています。これらを掛け合わせることで、新しい保険商品や付帯サービスの開発に挑戦しようということで「IoT保険」の取り組みが始まりました。
そのきっかけが生まれたのは、私がサンフランシスコに赴任していたときです。現地のスタートアップと連携しながら、オープンイノベーションを推進するために、AI集団を集めたラボを立ち上げていました。そこでリスク分析に最適な技術はないかと探していく中で見つけたのが、植木さんの研究していた「故障予測技術」だったんです。
植木:
当時、私は茨城で機械の研究をしていました。鉄道や建設機械、風力発電機など、日立がモノづくりを行う中で、「いかに壊れないような設計をするか」「壊れないように保全をするためにはどうすればいいか」といった研究をしていたんです。あくまでも日立の製品のためにやっていた仕事であって、保険商品の開発に活用できるなんて発想は、まったくありませんでした。
それがある日、私たちの研究開発グループの技術を、日立のお客さまやフロント営業の方々に紹介するイベントがあって。そこに来ていた新家さんの部隊と、我々の技術が出会った、という経緯です。
新家:
最初に研究所の技術に出会ったときの衝撃は、いまだに覚えています。風車のブレードにセンサーが付いていないのに、環境データだけでいつ故障するかを予測できると聞いて、かなり驚きました。
植木:
お客さまに提供する製品にセンサーを実験機のようにたくさん貼り付けているわけではありませんからね。「こういう環境下で、こういう使われ方をしたら、何年後の故障確率は何%になる」という考え方は、設計段階で当たり前のようにしているんです。
保険の設計はモノづくりと同様で、しっかりとした理論体系に基づいて精緻にリスクを定量化していますよね。お互い大切にしているところが同じなので、この保険との掛け合わせはうまく噛み合うだろうと感じました。
植木さんのようにモノづくりの研究所からITの事業部に異動してくるケースは、よくあることなのですか?
植木:
いえ、かなり稀有な例だと思います。
新家:
最初は研究所の所属の植木さんに、研究を依頼する形で進めていたのですが、プロジェクトを共に推進していくなかで、ご縁があって、金融ビジネスユニットに来ていただけることになりました。
実際、保険会社の方とは、どのようにコラボレーションを進めていくのですか?
新家:
我々の協創施設にお客さまにお越しいただき、先に紹介したNEXPERIENCEというツールを使いながら、何度も繰り返しワークショップを行います。保険の営業担当の方や、商品開発をされている方、植木さんに近いリスク・マネジメントの研究をされている方など、さまざまな部署の方々にご参加いただき、我々と一緒にディスカッションを重ねてきました。また、保険会社の社内に、我々の研究者用の席を設けてもらい、保険の引受査定や査定基準を策定する保険会社の方々と肩を並べながら、データを見て分析したり議論をしたりもしています。
異業種のプロの方とハイレベルな会話をするのは、難しくありませんでしたか?
植木:
そうですね。たしかに同じ考え方でも違う言葉を使っていることがよくあるので、最初はとっつきにくい部分もありました。しかし次第に、我々の世界に置き換えながらアナロジーで考えられるようになってきて、今ではとても楽しく会話させていただいています。
日立の中には、私のような自社事業としてモノづくりの仕事をしている人がたくさんいるので、完成したソフトウェアのパッケージを渡しておしまいではなく、「お客さまと同じ目線で、同じ言葉を使って会話をしながら、導入から運用まで支援できる」点が日立の強みだな、と改めて感じている次第です。
今後はどのような展開をしていく予定ですか?
西川:
昨今、「スケール・バイ・デジタル」の思想が社内に浸透してきたことで、日立は変わりました。日立の他の事業部門からの協力を非常に得やすくなったことで、異業種のお客さまとの協創を現実的に進められる環境が整ったと感じています。
それと同時に、我々のミッションも金融機関のためにソリューションを提供するだけではなく、「金融機関と一緒に生み出したものを、いかに別ドメインの事業で役立てるか」へと変化しています。「Risk Simulator for Insurance」は、いわばそのためのひとつの歯車です。我々のリスク分析技術で日立のさまざまな事業を下支えしながら、金融と掛け合わせることで、新たな価値を生み出していきたい。このリスク・インサイト事業をさらに推進していくことで、社会イノベーションを実現していこうと考えています。
新家:
そうですね。協創パートナーとして、お客さまが日立に求めるケイパビリティを発揮できる状態になってきたと、私も感じています。
その上で、今後リスク・インサイト事業を大きく育てられるか否かは、我々が「Risk Simulator for Insurance」を使って、お客さまの実業を支えることができるかどうかにかかっている。つまり、「Risk Simulator for Insurance」の評価結果を信頼していただき、お客さまの事業をより効率化でき、保険会社の行っているリスク評価業務をより高度化することができれば、この事業は成功に近づくということです。その取り組みを継続することで、将来、日立はより多くのデータとノウハウを集積することができ、モデルの精度や、バリュエーション向上が可能となります。とはいえ、そのためには「Risk Simulator for Insurance」の結果に対して、しっかりとした責任を担っていく必要があり、現在、技術と事業の両面でさらなる発展に向けた取り組みを推進しています。
もうひとつの目標は、日立グループの収益最大化のために「Risk Simulator for Insurance」を役立てることです。このリスク・インサイト構想を立ち上げたときに、お客さまのリスク・マネジメントを支援するだけでなく、日立の実業そのものを支援することを目標としてきました。その実現に向けて、現在は、複数のグループ会社の実データを提供していただきながら、徐々に挑戦を始めているところです。