組合せ最適化問題を高速に解くことができる、日立の独自技術「CMOSアニーリング」。この技術と金融が結びついたことで、昨今さまざまなユースケースが広がっています。そんなCMOSアニーリングのビジネスを牽引する御三方にお話を伺いました。
小川 純
金融第一システム事業部 金融システム第二本部 新規ビジネス推進部 担当部長
金融システム事業部で地方銀行のリスク管理や資金証券等のパッケージ開発に携わる。メガバンクの勘定系の更改の担当を経て、2018年から、CMOSアニーリング関連の開発等に参加。新技術を顧客に紹介し、新規の協創プロジェクトの創出に挑む一方、名古屋大学で非常勤講師としてチームマネジメント、プロジェクトマネジメントについて教鞭をとっている。
寺崎 紘平
金融第一システム事業部 金融システム第二本部 新規ビジネス推進部 技師
入社以降「モノづくり実習」等でデータベースの設計、開発を行い、2018年から金融機関向けにAI導入のPoCに携わる。同時期にCMOSアニーリングの存在を知り、関心を持つ。CMOSアニーリング技術を日常業務や社会のさまざまな課題に適用するプロジェクトに従事し、金融機関をはじめ多くの業界における協創プロジェクトを推進している。
山岡 雅直
研究開発グループ 計測イノベーションセンタ エッジコンピューティング研究部 部長
研究開発グループにて、2013年のCMOSアニーリング技術開発開始時より本技術の研究開発を推進。社内のCMOSアニーリングやその他エッジ技術の研究開発を推進するとともに、顧客との協創活動やNEDO*1国プロジェクト、未踏ターゲットプログラム、北大の客員教授としての人材育成などに関わり、新しいコンピューティング技術の普及に努めている。博士(情報学)、IEEE会員
*1:国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構
まずは「金融事業部でCMOSアニーリングが使えるのではないか」と思われたきっかけを教えてください。
小川:
最初は、山岡さんの研究開発グループが、とある銀行さんにCMOSアニーリングを紹介している場面に遭遇したのが、きっかけです。当時、僕はお客さまに相対するSEとして同席していたのですが、「これは金融以外にも広く活用できそうだし、もっとよく知りたい!」と思い、山岡さんにコンタクトを取って理解を深めていきました。
山岡:
2019年頃のことでしたよね。CMOSアニーリングの研究は2013年頃から始めていて、2015年にリリースしたのですが、いろいろな業界の方に興味を持っていただけたものの、なかなか事業化までは辿り着けていませんでした。そんなときに小川さんと出会って、そこから一気に広まっていったんです。
小川様からご覧になって、あと何があれば事業化につながると感じられましたか?
小川:
技術としては素晴らしいのですが、そのままお客さまの業務に適用できるかといえば、そうではなくて。“技術と業務の間にあるギャップ”を埋めていく必要があると感じました。そこを僕らが担うようになったことで、多くのお客さまから引き合いをいただけるようになったと考えています。
山岡:
まさにそうですね。新しい技術なので、お客さまご自身では具体的なユースケースをイメージしにくいものなんです。とはいえ、研究開発グループは、お客さまの業務知識を持っていないので、自分たちでギャップを埋めることができない。やはり事業化につなげるには、小川さんたちの存在が不可欠でした。
ギャップを埋めるために、具体的にどんなことをされたのですか?
小川:
当然のことながら、CMOSアニーリングの勉強はしましたが、何よりも努力したのは、お客さまのお悩みを深く理解することです。その上で、お客さまからのお悩みをCMOSアニーリングで解決するにはどうすればいいのか、ひとつずつ検証しながら進めていきました。
CMOSアニーリングを活用したソリューションとして、2020年に「勤務シフト最適化ソリューション」を発表されています。組合せ最適化問題で解決できる業務課題の中から、勤務シフトを選ばれた理由は何でしたか?
小川:
大きく2点あります。まず1点目は、三井住友フィナンシャルグループさんのコールセンター数ヵ所で行った実証実験で、「人手で作成した従来の勤務シフトと比較して、余剰配置の発生を約80%削減する」など、十分な有効性を確認できたこと。そして2点目は、勤務シフトの最適化に対するニーズは、金融機関のみならず、さまざまな業界に存在していることです。「CMOSアニーリングで組合せ最適化問題が解けるよ」と聞いてピンと来られない方でも、「CMOSアニーリングを使えば、人手でつくるよりも早くて、精緻な勤務シフトをつくれるようになるんだよ」と言えば、イメージしていただきやすいですよね。そうする事で、最適化による問題解決の意識が芽生えて、CMOSアニーリングの認知度が上がりますし、さらなる要望を聞きだす機会になると考えました。
「勤務シフト最適化ソリューション」の開発においては、どんな困難がありましたか?
寺崎:
CMOSアニーリングを使って、大規模な要員配置の最適解を導き出すには、職場ごとの複雑な制約条件を「イジングモデル」という数式に変換する必要があります。ただし、イジングモデルは一般的に周知されているものではありませんので、まずは「何を考慮してシフトを組んでいますか?」とお聞きしながら、ひとつずつ要件を定めることから始める必要があります。
たとえば、「AさんとBさんは新人と教育者の関係だから、できるだけ一緒に働かせたい」「Cさんは保育園のお迎えがあるから16時までしか働けない」「Dさんは絶対に土日は出られない」など、個々の働き方に関する制約をヒアリングして要件としてまとめます。その後、今度はそれらをすべて数式に落とし込んでいきます。パッとできることもあれば、どうしても難しいこともあって。この要件を定めて数式に変換する部分が、とにかく大変でした。
小川:
お客さまからお聞きした要件以外にも、これまでにつくられた実際の勤務シフトを分析して、「より効率化するには、シフトをこんなふうにしたらどうですか?」と提案もしていたよね?
寺崎:
はい。過去のシフトを分析していると、お客さまが無意識のうちに考慮しようとしている制約が見えてくることがあるんです。そういう場合は、「ひょっとしてこんな条件も考慮されていたりしますか?」と聞きながら、数式をよりよい形にしていきました。結構、お客さまですら気付いていない暗黙知が多いんですよ。
勤務シフト以外の適用先としては、「損害保険のポートフォリオ」もあると伺っています。
寺崎:
はい。損害保険ジャパンさんとSOMPOリスクマネジメントさんと一緒に、2020年から実証実験を進めてきました。損害保険業界では、地震や台風などの自然災害を起因とした保険金支払いが増加していることから、「自然災害リスクをより適正に分散させたい」という課題を抱えていたんですね。そこでCMOSアニーリングによって、従来のコンピューターでは扱えない、大規模で複雑な保険条件を考慮したポートフォリオ最適化問題を解くことで、リスクコントロールにお役立ていただこう、と考えました。約2年間の実証実験の結果、実際の業務でも活用できると証明されたため、この4月から本格導入していただけることになりました。
CMOSアニーリングは、現在も継続して機能追加をされているのですか?
山岡:
そうですね。お客さまとお話しして、「こんなところが足りない」とご要望をいただいたら、そこはなんとかしようということで、新しい技術を入れながら少しずつ開発を続けています。
小川:
そこがすごく大事なところなんですよね。日立は、研究所で基礎研究をしっかりとやりながら、事業部のSEがアプリケーション開発をしています。これがもし「他社の技術を使っているだけなので、自分たちはアプリケーション開発しかできません」となってしまうと、トータルで良いものはできません。“研究者とSEが連携して、一緒に良いモノづくりができる”のは、日立にしかない大きな強みだと思っています。
山岡:
まさに“技術開発が循環”しているんですよね。研究所で技術ができたら、それを事業部がお客さまを見つけて導入し、そこで新しい問題が出てきたら、研究所にフィードバックして、次の技術開発につなげる、という循環ができていますから。
寺崎:
たとえば「お客さまからのお悩みを解決するには、ちょっとここが足りないです」と研究所に伝えると、すぐに対応策を検討してくれて、数日〜数週間後には「これでどうですか?」と新たな機能が追加されて戻ってくる。このスピード感がお客さまに喜んでいただけるポイントだと思っています。
「今後、CMOSアニーリングをこんなところに使えたら、人々の生活をもっと豊かにできるのに」と思われる領域はありますか?
山岡:
エネルギーの分野ですね。たとえば、全国にある発電所の中から、いつ・どれを・どれくらい稼働させるかをCMOSアニーリングで計算して最適化できれば、無駄な資源を使わずに済むので、環境問題の解決に近づけるのではないかと考えています。
寺崎:
学校の時間割や倉庫の配置など、組合せ最適化問題は、実は身の回りにあふれています。だからこそ領域を限定するのは難しいのですが、個人的に日頃、気になっているのは「信号機」です。今は基本的に時間で色を変えていると思うのですが、CMOSアニーリングとAI、IoTといった技術を掛け合わせれば、もっと柔軟かつ適切に変更できると思うんです。そうすれば、「なんで車が走っていないのに、赤信号の横断歩道で止まらなきゃいけないんだ」といった日常の不満を解消できるのではないでしょうか。さらに将来、車が自動運転になれば、CMOSアニーリングの計算結果通りに車を動かすことができるようになるかもしれません。すると、ますます最適化の効果が大きくなるはずなんですよね。そうやって、さまざまな物事を最適化することで、“ヒトが頭で考えなくても一番良い選択ができる未来”に近づけていきたいです。
小川:
そんなふうに広く社会を変えるには、今のように一社ずつお声がけしてユースケースをつくるだけでなく、コンソーシアムのような形で、複数社で一緒に最適化の取り組みを行っていく必要があると考えています。たとえば、物流。過疎化している地域に荷物を運ぶ際に、A社とB社が別々に運ぶのではガソリン代も人件費もロスが大きくなりますよね。そこをまとめて最適化できれば、両社の利益率向上に寄与できるだけでなく、SDGsの観点からCO2削減にもつながるなど、最適化がもたらすメリットを最大化することができます。
山岡:
たしかに。「非常に大規模な組合せ最適化問題を高速で解ける」というCMOSアニーリングの特徴を生かすためにも、コンソーシアムで適用範囲をどんどん広げていき、生活者が無意識のうちに最適化されている世界を実現できるといいですね。
では最後に、CMOSアニーリングの今後について教えてください。
小川:
今はCMOSアニーリングを活用していますが、将来的には、やはり量子コンピューターが主流になると思っています。そこで山岡さんと一緒に「量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)」という業界団体に参加しながら、CMOSアニーリングの応用として量子コンピューターにつなげていく方法を模索しているところです。
山岡:
量子コンピューターの実用化はまだ遠いとはいえ、いずれ実用化できたときに、実際どんなふうに問題をつくって解けばいいのか、考えておく必要があります。そこに我々がCMOSアニーリングで育んできた技術を応用できると考えているんですね。お客さまにとっては、技術そのものではなく、技術がもたらす価値が重要なはずなので、「いつの間に量子コンピューターに置き換わっていたの?」となるのが理想的かな、と。
寺崎:
CMOSアニーリングが発表された当初と同様に、量子コンピューターでいったい何が便利になるのか、具体的なイメージが湧いていないお客さまも少なくないと思うんです。だから量子コンピューターが実用化されたときにも、我々が技術とお客さまの業務の間にあるギャップを埋める役割を果たせるよう、しっかり備えておきたいと考えています。