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青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)

下絵

 新田義貞は上野国新田荘(現 群馬県太田市付近)新田氏の家に生まれた。父 朝氏が死去し、義貞は若くして当主として家督を継ぐことになった。
 新田氏は鎌倉幕府の御家人の中でも有力者で古くは広大な領地を所有していたが、北条氏との折り合いが悪く、義貞が家督を継いだ頃は領地も減り、そのうえ無位無官で苦しい生活を強いられていた。
その影響もあり若い頃から義貞は日々武芸や学問に励み、天皇へ忠誠を尽くすことを教えられながら成長した。
 鎌倉末期、打倒鎌倉幕府を掲げる後醍醐天皇と、鎌倉幕府・北条氏が対立した。当初は幕府圧勝かと思われたが、次第に領地各地で幕府に不満を抱く者が増え、後醍醐天皇に賛同する声が高まった。
武功を挙げても十分な恩賞がもらえず苦しい生活の中、重い税が課され続ける現状に耐えかね遂に義貞も挙兵した。義貞軍は勢いを増し武蔵国に入り鎌倉街道を南下し続けた。しかし鎌倉は海と山に囲まれた天然の要塞。 進軍するが、苦戦を強いられていた。稲村ケ崎から進軍するも海は荒れ狂い、困った義貞は、黄金の太刀を海に捧げ祈ったのである。
すると、海深くから龍神が現れ、たちまち波は引き、義貞は一気に鎌倉に攻め込み、わずか半月で鎌倉幕府陥落を成し遂げた。
 ねぶたは、太刀を捧げ祈った新田義貞の前に龍神が現れた場面である。

参考資料/群馬県太田市観光物産協会ホームページ
     『講談社の絵本 新田義貞』(大日本雄弁会講談社)
     「刀剣ワールド」ホームページ 新田義貞と刀

新田義貞伝説(にったよしさだでんせつ) 龍神(りゅうじん)に太刀(たち)を捧(ささ)ぐ
下絵制作者:北村蓮明氏

トピックス

7月30日(日)日立連合ねぶた委員会は青森市内ねぶた小屋周辺の清掃活動を行いました。
この活動は2007年から実施していて、今年で15回目となります。
今年は気温35℃の暑い中でしたが、日立連合関係者とそのご家族約100名が参加し、地域への感謝の想いを込めながら活動を行いました。
ねぶた祭の開催を目前に控え、日立連合ねぶた委員会としての団結を深めることができました。

写真0730
清掃ボランティア活動の様子

令和5年度の青森ねぶた祭において、日立連合ねぶた委員会は「観光コンベンション協会会長賞」、「囃子賞」を 受賞いたしました。
4年ぶりに制限のないフルスペックの開催となった今年のねぶた祭でしたが、沿道の皆さまの活気に勢いと元気を貰いながら運行することができ、2年連続の観光コンベンション協会会長賞、囃子賞を受賞することができました。

ねぶた
観光コンベンション協会会長賞、囃子賞を受賞

9月22日(金)~24日(日)、「第15回日立ねぶたぬりえ展」を青森市のアスパム2階 エネルギー館ギャラリーにて開催しました。
青森ねぶた祭が4年ぶりに通常開催となったことにより、このぬりえ展も4年ぶりに開催することができ、今回で15回目となりました。
全国から、色とりどりの鮮やかなぬりえや、個性あふれるぬりえなど大変多くのご応募をいただきありがとうございました。

会場では、ご応募いただきました作品の展示と、今年のねぶた祭の様子を振り返る写真の展示を行いました。 ご来場いただいた皆さま、ありがとうございました。

日立ねぶたぬりえ展
展示の様子と受賞作品