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青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)

下絵

 平安末期から活躍した武将『熊谷次郎直実』は、武蔵国大里郡熊谷郷(現・熊谷市)の領主であった。
 直実は平家に仕えていたにもかかわらず、石橋山の戦いで敗走する源頼朝を助けるなど、情に厚い人間だった。
後に頼朝の御家人となり、数々の武功を上げた。常に先陣をきって駆けていく姿は「当代随一の武将」とも評されていた。しかし、一人の若武者を討ち取ったことが、その後の人生を変えることとなる。
 それは一ノ谷の戦いでのこと。
 手柄をたてようと、直実は海辺をひとり逃げる平家の若武者に向かって一言放った。
「いざや平家の公達、返せ返せ、敵に後ろを見せるのは恥であろうぞ」直実は引き返してきた若武者を捕らえ、息子ほどの若さに驚き、ためらい、助け逃がそうとするが、後方から味方軍勢が追って来たため人手にかけるよりはと、自ら討ち取ったのである。
 後日、討ち取った若武者が平氏の大将平経盛の子で敦盛という十七歳の少年であると知り、息子ほどの若武者を斬らねばならぬ切なさ、世の無情さに苛まれ、後悔の念を抱くこととなる。
 その後、直実は武士の身分を捨て家督を譲り出家。蓮生と名乗り数々の寺を建立し、念仏を唱え続けその生涯をとじたのである。
 ねぶたは、直実が日の丸の扇をかざして、若武者に声をかけ引き返すよう促している場面。直実と敦盛の運命を暗示するかのように、鳥の群れが一斉に飛び立って行く。

参考資料/熊谷市公式サイト
     熊谷市立江南文化財センター公式サイト
     『日本の歴史 源氏と平氏』(国文社 S34,S36 発行)

一ノ谷(いちのたに)の戦(たたか)い 熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)
下絵制作者:北村蓮明氏

トピックス

晴天に恵まれた7月24日(日)、日立連合ねぶた委員会は、今年で14回目となるアスパム(ねぶた小屋)周辺地域の「清掃ボランティア活動」を行いました。
日立連合ねぶた委員会関係者とそのご家族、約50名が参加した清掃ボランティア活動は、地元地域への日頃の感謝の意を込めて、2007年から実施しています。
この活動を通して、地域貢献活動の意識を高めるとともに、日立連合ねぶた委員会の一層の団結を深めることができました。

写真0724_1
清掃ボランティア活動の様子

8月2日〜7日に開催された青森ねぶた祭にて、日立連合ねぶた委員会は脱炭素ねぶたを運行しました。 従来、ねぶた本体の点灯にはディーゼル発電機を使用していましたが、脱炭素ねぶたは、太陽光由来のエネルギーで充電した蓄電池を活用することで、CO?排出量最大170kg分を削減します。
日立連合ねぶた委員会は、これからも新たな挑戦を続け、時代の変化に柔軟に適応することで、国の重要無形民俗文化財に指定されている青森ねぶた祭の末永い伝承とさらなる発展に貢献します。
なお、日立連合ねぶた委員会は、今回の青森ねぶた祭において観光コンベンション協会会長賞を受賞することができました。

脱炭素ねぶた
観光コンベンション協会会長賞、囃子賞を受賞