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青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)青森ねぶた祭(日立連合ねぶた)

ねぶた師 故 佐藤伝蔵氏は、日立のねぶたを初陣の昭和40年(1965年)から亡くなられた昭和61年(1986年)まで21台のねぶたを手掛けて頂きました。その間、田村麿賞(現在のねぶた大賞)を5度受賞、昭和47年(1972年)の「国引」の面は県立郷土館に永久保存。昭和58年(1983年)の「八之太郎と南祖坊」はねぶたの里に展示されています。他の団体も含めると計8回の田村麿賞を受賞、特に昭和57年(1982年)からは4年連続の受賞であり、昭和61年(1986年)8月に3代目ねぶた名人を受贈されました。昭和55年(1980年)の当会の資料によると「国引」は沖縄返還、「風神雷神」は公害問題、「海彦と山彦」は200浬問題、等々国際情勢を見極めた作風で青森最高の製作名人である、と記してあります。