東日本旅客鉄道(以下、JR東日本)は、すべてのお客さまに安心して利用いただける快適な鉄道づくりをめざして、お身体の不自由なお客さまの社会参加や高齢化社会の進むなかで、ハード・ソフトの両面から鉄道の利便性、快適性の実現に取り組んでいる。その一つが、配慮を必要とするお客さまが列車を乗降する際のスロープ板の設置や付き添いなど、駅係員の乗降介助である。しかし、課題もあった。お客さまからご案内までの待ち時間が長いというお声をいただいていた。介助の事前Web申し込みサービスがなかったことが要因の一つ。だれもが制約なく利用できる鉄道へ、サービス向上のためにJR東日本が選んだのは、日立製作所(以下、日立)のクラウドサービス「移動制約者ご案内業務支援サービス」だった。
JR東日本
鉄道事業本部
サービス品質改革室
榊 俊文 氏
※取材当時(現在は、大宮支社 鉄道事業部 モビリティ・サービスユニットに所属)
公共交通機関では近年、移動制約者の自由かつ安全な移動を支える介助体制を整えてきた。JR東日本でも、車椅子や白杖などを用いるお客さまの状況やその乗車ルート、車両やドアの位置などをアプリケーションで管理し、駅係員間で共有するシステムを導入。首都圏の一部区間で利用していた。
しかし、それ以外のほとんどの区間では、移動制約者に関する情報共有は電話やFAXによってなされていた。これが、駅係員間での情報伝達間違いや、現場ではすぐに連絡がつかない、情報の伝達に時間がかかるなど、多くの課題を生む。
また、常時、駅係員がいるような首都圏の駅では、直接駅の改札で当日に介助の申し込みを受けていた。しかし、そこからすぐに介助案内はできない。JR東日本ではお客さまを安全にご案内することを第一に考え、降車先の駅に状況を共有し、了解を得てから、ようやく介助を進められる。これでは駅での利用者の待ち時間がどうしても長くなってしまう。
さらに問題だったのは、情報共有のミスである。電話やFAXによる情報共有では、聞き間違いや読み間違いを完全に排除できず、対応ミスが発生する場合があった。
そうした折、JR東日本は2023年に同社のチケット販売サービス「えきねっと」で、障害者割引乗車券や新幹線の車いす対応座席を今後販売するという方針を発表。その開始は2024年2月からとなっていた。これが介助体制の課題に影響する。JR東日本 鉄道事業本部 サービス品質改革室(取材当時)の榊俊文氏は次のように語る。
「きっぷがネットで購入できるのに、乗車の際に必要となる介助の申し込みができないと、きっぷがあるのに駅で待たされることになり、お客さまにストレスをおかけしてしまいます。そこできっぷの購入から乗降介助の申し込みをシームレスに受付が可能なシステムの検討を始めました」
JR東日本が最初に検討したのは、現状利用していた情報共有システムに受付機能を付加する方法である。しかし、これはさまざまな障壁からかなりのコストと時間がかかることが判明した。そうした中で九州旅客鉄道(JR九州)が日立のクラウドサービス「移動制約者ご案内業務支援サービス」を導入したという情報を得る。
このサービスは、首都圏の私鉄向けに日立が開発したサービスをベースに、SaaSとして広く鉄道事業者向けに提供するものだ。他社のサービスとも比較検討した結果、2023年4月、日立のサービスの導入が決定。榊氏は「既に事前介助受付機能を持ち、新たに開発するよりも安価に短期間で導入できます。稼働実績もあり信頼性が高いことから導入を決定しました」と採用の理由を語る。
従来のオンプレミス環境からクラウドサービスへ。移行の選択について榊氏は、「汎用的なAWS環境になることで、自社だけに閉じず他の鉄道会社とも連携した移動サービスを提供するプラットフォームになり得る可能性を感じました」と振り返る。
AWSのプラットフォームは基本的に同社のセキュリティーポリシーに適合していた。加えて日立が一部セキュリティ強化に対応したことも採用を後押しした。
「移動制約者ご案内業務支援サービス」にはオプションやアドオン開発メニューもあり、自社システムとの連携などにも対応する。JR東日本の場合はきっぷを「えきねっと」で販売していることから、介助の申し込みもその販売フローに組み込むことが要件だった。そこで標準サービスに加えて、アドオン開発を実施。2024年2月「えきねっと」での障がい者向けきっぷの販売開始に合わせ、介助申し込みの事前受付サービスを開始した。
JR東日本
首都圏本部
鉄道事業部
サービス品質改革ユニット
及川 拓也 氏
「移動制約者ご案内業務支援サービス」は、以前から別の情報共有システムを利用していた東京の山手線、南武線(川崎〜立川)、京葉線(東京〜蘇我)に加え、新たに東北・秋田・山形・上越・北陸新幹線に導入した。
JR東日本は東北から関東、甲信越まで広範なエリアを管轄し、駅の規模や構造もさまざまだ。介助業務は駅係員が行うケースもあれば、業務委託先の社員が対応するケースもある。首都圏への展開を担当するJR東日本 首都圏本部 鉄道事業部 サービス品質改革ユニットの及川拓也氏は説明する。
「駅によって、事情はそれぞれ異なります。そうした中で1つのアプリケーションと業務フローを展開するには、まず各々の事情を把握する必要があります。特に重視しているのが、共通認識を持ってもらうことです。例えば、これまでは、駅係員間で伝える情報の内容が地域によって少しずつ異なっていました。それらを整理し、安全に利用いただくために漏れてはいけない情報を洗い直し、規模の大小に関係なく対応できる情報を見極め、情報伝達のルール作りを進めています」
展開にあたり、試行錯誤してきたのは業務フローの作成と操作性のブラッシュアップであるという。JR東日本 サービス品質改革部の小沼雅弘氏は振り返る。
JR東日本
サービス品質改革部
小沼 雅弘 氏
「当社には東京駅のような大規模な駅もあれば、無人駅を含む地方の小さな駅もあります。駅係員も若手からベテランまで幅広く、誰でもどこでも使える業務フローと操作性が求められます。それをどう作るかが課題でしたが、既に他社での導入を経験している日立に相談することで、比較的短期間に仕上げることができました。今もブラッシュアップは続けています」
JR東日本は業務フローを組み立てる際、日立から提示を受けた業務フローを参考にしたが、変えた点もある。お客さまからの申し込みに対して駅側が受けられなかった場合、電話による連絡に切り替えるのが元の業務フローだったが、JR東日本はシステム上での返答にこだわった。
例えば、東京駅では対応件数が日に数百件にも上る。今後Web申し込みが増え、そのすべてに電話連絡をすると膨大な業務量になる。駅係員の負担を軽減するため、できる限りシステム上で対応できるようにした。
並行して現場教育も進める。まずは使い方を理解してもらうため、基本操作を紹介する動画を作成。駅係員がいつ、どこでも見て確認できるようにした。さらにリアルタイムのオンライン研修も実施。駅係員は自身の都合がついた時に受講できる。オンライン研修は相手の理解レベルや反応に合わせるため、すべてリアルタイムで対応しているという。
さらには駅係員が実際に触れられる、教育用のアプリケーションも用意。自分のタブレットにインストールして使えるようにした。
JR東日本
首都圏本部
鉄道事業部
サービス品質改革ユニット
山口 真幸 氏
同社の駅係員には1人1台タブレットを支給。現場でタブレットを用いてシステムにアクセスできる。駅係員の反応は概ね好意的だ。既にアプリケーションを利用していた3路線については、業務フローが大きく変わらないこともあり、すぐに利用が定着した。新たに導入した新幹線においても評価が高い。ベテラン駅係員の中には利用に懐疑的な意見もあったが、実際に使ってみるとその利便性と、人的ミスの排除効果を実感。その意義を理解されるようになった。
JR東日本 首都圏本部 鉄道事業部 サービス品質改革ユニットの山口真幸氏は効果を語る。「以前は介助状況の詳細が他の駅係員には分かりませんでした。サービス導入により、業務の詳細、進捗状況を可視化できました。それにより、より多くのお客さまをご案内できるようになることをめざしています」。
以前は介助の申し込みを駅で直接受けていた。その場で担当駅係員の割り振りから考える必要がある。これが事前申し込みになると、あらかじめ割り振りを実施できる。駅係員の業務分担がスムーズになっているという。
またこれまで降車駅の介助担当駅係員は、移動制約者が到着する予定時間やその列車が何番線に入るか、遅延していないかなどを、複数のシステムで調べる必要があった。その上で到着時間の少し前にタイマーをセットし、アラームが鳴ると介助に向かっていた。
ここには複数のミス発生要因がある。タイマーセットの失念、アラーム時間設定の間違い、突発的な遅延状況の未反映による時間のずれ、などだ。新しいアプリケーションは必要な情報をすべて集約。これを見るだけですべての状況が分かる。遅延を加味した時間に自動的にアラームが鳴るので、手間もミスも大幅に削減された。
担当者にかかる負担も軽減されている。駅係員からは「以前は正確に情報を伝えられているか不安だったが、間違いなく情報を伝えられるので安心」と好評だ。及川氏も「今までは担当者しか詳細を知らなかったため、その担当者1人に負担と責任がのしかかっていました。全員で情報を共有することで負担が分散でき、心理的な負担や不安を軽減できると感じています」と語っている。
お客さまからも好評を博しているという。榊氏はエピソードを紹介する。「お客さまから、以前は駅で待たされていたが、今回事前に申し込んだところスムーズに乗ることができて、とてもよかったと喜んでいただけました。駅側もあらかじめ準備できるので、お互いにWin-Winのシステムができたと感じています」。
同社は現在サービス導入のエリア拡大に向けて準備を進めている。まずは首都圏の他の路線に拡大し、最終的には全エリアでの導入をめざしている。榊氏は「お客さまから求められているサービスなので、できるだけ速く展開したい」と意気込む。
残る課題は他社との連携だ。首都圏の鉄道は他社線との乗り入れが複雑に絡み合っているため、お客さまが自社の駅で乗車し他社の駅で降車することは珍しくない。現状その場合は電話連絡に頼っている。日立はこのサービスを他社にも提供しているので、将来的に連携できればお客さまにも、各鉄道事業者にも、双方にメリットが大きい。
「日立のサービスは鉄道で多く使われており、高い信頼性があります。協創を進める中で、世界を相手にする日立だからこそ、広く評価され選ばれていると実感しました。我々も鉄道各社にネットワークを持つ日立と一緒に、よりよいサービスを創り上げていきたいですね」(榊氏)
日立とともに、移動をもっと自由に。JR東日本と、鉄道の挑戦は続く。
誰もが快適に移動できる社会をめざし、日立が提供する車いすや白杖などの利用者(移動制約者)への案内業務を支援するクラウドサービスである。
これまで多くの鉄道会社で電話や口頭伝達で行われてきた、列車乗降サポートの業務プロセスを電子化。利用受付から駅係員間の連絡・引き継ぎ、業務遂行情報の共有をスマートデバイス上で完結できる。一連の業務を紙の連絡票への記入・管理で行われていたアナログ作業を最小化し、スマートデバイスで情報をリアルタイムに共有することで「ヒューマンエラー発生の低減」と「駅係員の対応効率化、負担軽減」、そして「お客さまへのよりスムーズな案内」を実現。さらに乗降サポートの実績管理や分析を可能とし、業務プロセス改善にも役立つ。
移動制約者ご案内業務支援サービスの全体概要
連絡業務がすべてスマートデバイス上で完結。運行システムと連携し列車を選択すると、車両数や列番などが自動で入力されるなど、素早く確実な入力をサポートする。対応状況に応じた背景色の変更やアラームの鳴動など、連絡不備のリスクを削減する機能を搭載。対応状況を駅係員全員で共有することで、個人に負担が集中することを防止できる。
SaaSで提供することで初期導入コストや保守コストを削減。TCO(Total Cost of Ownership)の改善に寄与する。
一連の業務をデジタル化することで、履歴を一元管理。社内全体でノウハウとして共有し、案内業務の一層のサービス向上に寄与。サポートが必要なお客さまの利用状況を分析することで、さらなる公共交通機関の安心・安全な環境整備に貢献する。