
企業理念
MISSION
創業からの軌跡とともに、日立のMISSIONをご紹介します。
MISSION
近代化の途上にあり、すべてを外国の製品や技術に頼っていた日本。
日立鉱山の工作課長だった小平浪平は「外国技術に頼らない技術力の向上が、日本を発展させ、
人々の生活を便利に、暮らしを豊かにする」という想いから、自社製品の開発をめざしていました。
1910年には初めての純国産モーターを開発し、日立製作所を創業します。
以来、日立は小平の想いをMISSIONとして受け継ぎ、時代ごとの社会課題に応えています。

創業者
小平浪平の言葉
時を超えて社員の心に息づく、小平の言葉の一部をご紹介します。

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やせても枯れても自分で作ってみたい
日立の創業前、小平は東京電燈にて世界最高レベルの高圧送電技術に携わっていました。しかし輸入した機械を据え付けるばかりの現状を憂いた小平は、友人の制止も振り切り、日立鉱山に転職します。技術の国産化と電気普及のために、高い地位を捨てて挑戦する道を選んだのです。
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いっそ製作事業を止めようかとも思わぬでもなかったが、私はこの事業の前途に相当の自信をもっている
1911年、小平は念願の電気機械製作事業を開始し、試行錯誤を繰り返しながら、顧客の信頼を獲得していきました。しかし、いよいよ発展期という1919年、工場が大火災に見舞われます。小平は「皆さんの努力によってこれまでになったのだから、これぐらいのことで躓いてはならない」と社員に語りかけ、再建を決意。その後、社員一丸となって製作所を復活させ、1920年には株式会社日立製作所として独立を果たしました。
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会社の仕事と云うものは、決して唯単なる金儲けばかりやって居るのではない
この言葉は小平が新入社員に向けた訓示の一部であり、MISSIONの基本となる考え方です。日立は創業当時から、「徒弟養成所」での人材育成や、日立工業用水による地域住民への給水など、社会貢献のための活動をしてきました。それらは現在も受け継がれ、途絶えることなく実践されています。
日立マークの由来
立派な製品を作って人々に広く認知してもらいたいという考えのもと、小平は「日」と「立」の漢字を組み合わせた日立マークを考案しました。
4つの突起は太陽のフレアを表しており、太陽と共に立つという創業の意気が込められています。


日立オリジンパーク
創業の地、茨城県日立市にある企業ミュージアム「日立オリジンパーク」では、日立の創業の精神や、これまでのあゆみなどを事例とともに紹介しています。

マンガで知る
日立の創業者・小平浪平
日立製作所の創業に至るまでの道のりは、決して平たんなものではありませんでした。幼少期から事業を拡大していくまでの小平の半生を、マンガで振り返ります。